フェミサイドについて思うこと

 

朝日を浴びて街へ出る

私は何より魅力的

 

月に照らされ家に帰る私は

何より退屈なふり

 

 新しい詩です。

 

 素敵なお洋服を着て、満足のいく化粧ができた時、私は自分のことがもっと好きになります。そうして、家を出るときは誰よりも何よりも魅力的で美しくて可愛くて煌びやかであると感じます。風を切って街を歩き、イヤフォンから流れる音楽に乗って私はMVの主人公になるのです。電車に乗っても、カフェに入っても、コーヒーを飲んで読書をしても、全部映画の中なのです。それほどに自分に自信がつき、余裕をもって時間を過ごすことができます。

 

 正直、フェミサイドという言葉を初めて知りました。しかし、日常的に、誰かに襲われるかもしれないという恐怖感はずっとありました。様々なニュースや、友人がストーカーに遭った、痴漢に遭ったという話を聞いて、明日は我が身となんとなく思って過ごしていたのです。それは私が女性だからです。もちろん性別問わず同じように不安を感じながら生きている方もいるかもしれません。「気を付けてね。」と心配をしてもらえる裏側にはそうした事件に巻き込まれる可能性があるからで、本来は不必要かもしれません。

 

 一人暮らしをしていたころから、いくら治安のいい街とされていても自分の後ろに誰かがいるのではないかと不安になっていました。それは、東京でも、ロンドンでも、田舎の実家に帰ってきた今でも続いています。夜に家路についた時にはいつでもなんだか不安で、音楽を聴いていてもボリュームを下げて、なるべく退屈な人に見られるように歩いています。家を出るころには、あれほど着飾って魅力的だったのに、帰り道には目立たないように風景に溶け込もうとしたり、余計に後ろを振り返ってみたり、出していたお腹をしまってみたり、電話をしているふりをしてみたり、逆におかしな人を装ってみたりといろんな方法でいかに人を近づけないかということをしています。時には、メンズライクのお洋服を着て、気を楽にしようともしています。(もちろん、メンズライクのお洋服がその日の気分に合っていて自分が素敵と思えるから着るときもあります。)いろんな方法で、私には魅力がないですよ、相手にしないでくださいねというようにしています。

 

 友人と別れるときに、「家に着いたら連絡してね。」と言うようにしています。
 ロンドンで生活しているとき、遊んだ後には必ず友人がこう連絡をくれていました。それは私が女性だからでもあるし、アジアンだからでもあるし、いろんな理由が考えられます。ロンドンは日本よりも確かに物騒だったのでそういう文化が当たり前だったののかもしれません。この言葉を言われるだけで少し安心します。誰かにケアされていると思えるからです。そして同じように友人にも「あなたもね。」と返して、家に着いたらお互いに連絡を取り合います。それでやっと気が休まるのです。

 また、私はロンドン生活中の大半を坊主頭で過ごしました。女性でアジアン、舐めるには丁度いい的です。アジアンの女と覚えられるのも(坊主の場合、坊主の印象が勝って、そうした性別や人種的なくくりから逃れると思っていました。)、それだから舐められるのもいやだったので坊主で過ごしていました。もちろん坊主がかっこいいと思っていたし、好きでやっていたことでもあります。

追記:ロンドン生活中、ホストマザーは「道を歩くとき、いつも鍵を指の間に挟んで、火のついたタバコを持っていた。それだけで違う気がした。」と話してくれました。私も喫煙者で、歩きタバコが悪とされていない土地柄だったので電車やバスを降りてすぐにタバコに火をつけ持ち歩き、彼女の教訓にならっていました。

 

 私(たち)は不必要な警戒を日常的にしています。だから男性に守ってほしいとか、誰かに守ってほしいとかそんなことじゃありません。私の身は私で守りますが、いい加減、弱者として女性を扱うのをやめてほしいのです。私はずっと自分にとって魅力的でありたいし、どんな格好をしても安っぽいとは言わせたりしません。小さくなる理由はひとつもないのに、危険があるからというだけでその必要が生まれ、事件に遭えば注意してなかったのではないかとまで言われるのです。痴漢に遭った人も、その人の格好や態度のせいにされたりするのです。悪いのは全て加害者のはずなのに、いつのまにか女性の不注意が原因だと論点をすり替えられてしまうことも実際にあります。どうしたら変えていけるんでしょうか。

 

 私は怒っています。だから詩を書きました。

 

朝日を浴びて街へ出る

私は何より魅力的

 

月に照らされ家に帰る私は

何より退屈なふり

 

 一、二連はリズムよく進むのに三、四連はリズムが崩れています。また二連目に書かれた”私は”がずれる形で三連目に書かれています。内容もそうですが、このギャップだけでも伝わることがあると思います。

 

 

31 Dec.☺ lazy diary 18

 

年末も年末、大晦日になった。

 今年はへんてこな年だった。ロンドン留学を経て、日本に帰ってきたと思えば、待ち望んでいた復学が一か月遅れ、大学に行かずともオンラインで講義を受けられる。一年ぶりに会えると楽しみにしていた友人たちとの再会もままならない。川崎に家を借りたけど、一度しか行けず半年が過ぎた。後期に通学の希望を残し、その家を契約し続け友達との二人暮らしを始めた。夏はうじうじと梅雨を引き延ばし、8月から暑さが始まった。課題に追われ、バイトもせずに過ごす日々。新しいウイルスにおびえる日々。9月には私はその貸家を出ることを決めて地元に戻った。それから実家で後期の授業をパソコンに向かって受ける。そして卒論。気を病みながらも友人に励まされなんとか筆を進める。そして小さな不備を最後の最後に見つけながらそれを提出した。

 この一年でいくつか詩を書いた。地元の喫茶店を開拓して、自分の新しい居場所を探した。昔の友達に会って喋った。会いたい人になかなか会えず、気を揉みながら過ごした。そんな2020年が終わる。楽しみだった2020年があっけなく終わってしまう。何もしなくてもやり遂げなくとも時間は同じように進むのだなと痛感した。だからと言って、実のある時間を過ごさなければと思えるほど私は偉くない。ウイルスや政府にイライラしながら、イライラするだけで終わってしまった。そんなものだ。去年の今ごろは、おととしの今ごろは、と楽しかった過去のことばかりに気を取られてつまらなかったな~などと思うのだった。この一年ほど悲しい年がないことをこの先に祈るばかりである。いろんなことが自分次第で決まるようだけれど、環境やその時の雰囲気にのまれて思うようにできないこともあるのだ。生活に完璧などないし、あ~あれをやっとけばよかったな~がある方が私はいいのかなと思えるようにはなったけど、こんなに「たられば」が出てくる時間はなかっただろう。

 

 来年からの過ごし方が大体決まった。卒業をできるようにまずは努力をして、そのあとは少なくとも半年間フリーターとしてごりごりお金を貯める。そして貯まった金で専門に進み手につく職をゲットするつもりだ。フリーターをやってみたかったので嬉しい。それに詩をたくさん書いたり、詩集だって拵えられる時間があるだろう。どこかに所属して働くのは嫌だったけれど、まあなんでも経験。専門に行くのも、一回くらい働くために頑張るみたいのをやってみようと思う。それで再来年以降に就職ができたら金をまた貯めて、いろいろ落ち着いたら30歳になる前にワーホリでも行きたい。そうしてロンドンに残してきたいろんな気持ちを消化したいなと漠然と思っている。先のことはあまり考えられないし、将来のために今のうちに自分が頑張っておくかというのも得意ではない。だから今はとりあえずこっちに進むのやってみよ~の気持ちで心が豊かではありそうな方向に進んでいきたい。2021年も地元で過ごすことが確定した。安心はしている。何かを決めた後は安心するものだ。東京に残してきたのは、大好きな友達と、なんでもすぐ手に入る便利さだけだ。こっちにも大好きな友達はいるし、そうそう私ってこんな人だったと思える友達もいる。家族もいるし、犬もいる。犬には本当に助けられている。腹立つときもあるけれど、彼女はとっても健気でかわいい。ありがたいことに、今やっているバイトも楽しい。バイト代も内容も人も何もかも申し分ない。賄いもおいしいし、家から店も近い。なんだか、楽しそうだ。来年からもっと楽しそうだ。正月に雪が降るかもしれないらしいが、そうだったら友達と雪合戦でもしようという話をしている。そういう身の回りの楽しいこともありそうだ。なるべくポジティブに来年を迎えたい。今年はとっても悲しかったからね。

 悲しいと言えば、今朝、29日締め切りの課題が未提出だったことにも気が付いた。しかもそれが5欠目で、それを落とすと卒業単位が足りないていうちょ~大事な課題だった。かつ、ゼミの教授の授業だった。悲しいよ。5欠すると単位もらえないのでこれから課題をして、事情説明(説明もくそもなくただ忘れてただけなんだけど)と謝罪をそえたメールを送る。とにかくいい気持ちで来年を迎えたい。もう気持ち悪く今年は終わるしかないのは決まっちゃったし。

 みんなも2020年お疲れさまでした。なんだか嫌な一年だったね。ありがとうね~。2021年こそは、よろしくと顔を合わせて言いたいな。風邪ひかないでね。

24 Dec.☺ lazy diary 17

 

卒論が無事終わり、地元に帰ってきた。

最後の一週間は北区に独り暮らしする親友の家に世話になり毎日だらだらと10時間くらい書いていたと思う。最終日らへんには40時間くらいぶっ続けで働かない頭を頼って満身創痍で書いていた。やっと終わって提出をしに行く日にはその家を出なければいけなかったので荷物をまとめてお礼をして出かけた。

同じ日、東京でできた親友が新譜を発表したので、フィジカルを手に入れてないままで聞くのも悪いなあと思いながらサブスクでそのEPを聞いた。元々、大学が一緒だったので、彼女と何度も通った大学までの道を歩きながら今の彼女が作る音楽を聴くというのは少し感慨深いものがあった。実際にその曲もむちゃくちゃ良くて鳥肌が立ったし、泣きそうになった。すごいなあ…かっこいいなあ~…。いや、私も今日はひとつのものを完成させたし…となんとか自分を肯定しながら歩いた。大学へ着き、卒論の受理をしてもらえる場所へ着いた。担当の人に見せると、中表紙と概要の順番が間違ってるからこの部屋を出て直してきて、と言われた。きちんと提出の仕方を読んでなかった私が悪いけれどなんか少し腹が立った。直すための別室でそれを直していると、目次のページ数の部分が書き途中であったことに気が付いた。でも今からまた直してプリントする時間もないので、ミスに目をつむり指摘された順番だけを直して提出した。母に、全部終わったよと電話をした。その時に、ページ数くらい手書きで書き込めばよかったことに気が付いた。かなり凹んだ。あんなに時間かけてやってきたことなのに結局詰めが甘い。いつも通りの私。でも逆にいつも通りの私なら、なんだかどこか余裕で、そんなことなんか簡単に気が付けるのにと思った。それができないほどその時は小さなことに焦っていたんだと、一方向からしか見れてなかったんだな、と一生懸命だったことにも気が付いた。ちゃんと今の自分で頑張ってたんだなと少し自分を受け入れた。そんなわけで長いような短いような、長くても短くてもしんどかった卒論が終わった。よかった。すごく安心している。これからは、他の単位を落とさぬようにこぼさぬよう生活し、レポートやテストを進めるだけ。卒論ができたんだからうっかりしなければ全部こなせるはずである。

終わった後に、次に世話になる人の家に向かう。彼女もまた東京でできた親友。前にも行ったことのある家だったから足がなんとなく彼女の家を覚えていた。家に着く前に、彼女が数日前に誕生日だったことを思い出し、花屋に向かって小さな花束を作ってもらった。彼女と久しぶりに会う。何も変わらないあったかい時間。その日もまたひとつ提出のレポートがあったのでそれを書いた。それを書いている間、彼女はギターを弾いて歌を歌っていた。私は彼女が音楽を触っているときがとても好きだ。レポートの提出が済んだら、最近作ったんだという曲を聴かせてもらった。そうやって新しくできたものを披露してもらえるのはとてもうれしい。今朝も親友の新譜を聴いて泣いてしまいそうだったのに、また彼女の新しいこどもを聴いて泣きそうになった。なんて言ったらいいかわからなかった。彼女が作る音楽がどうであるかなんて表現できる言葉を持ち合わせていなかった。だから「いいね、好きだよ」といった気の利かないことしか言えなかった。それでも彼女はすごく喜んでくれて、私も嬉しくなった。それから、サウナへ行こうと移動した。もう一人と合流して銭湯へ向かったが、あいにく臨時休業だったのであきらめた。しょうがないので近場で軽く飲もうかとなり、二人の知っている居酒屋へ行った。適当な酒をそれぞれ頼み、他愛のない話をした。それから二人の友達が来て、結局まあまあの人数になった。私は彼女以外はみんな初めましてだった。けれどみんな優しくて、みんな夢があって、そのために行動を起こしていて、みんなかっこよかった。話していても、ちっとも寂しくならなかった。でもふと、自分が情けないなあと思った。自ら動いて夢を追ったり、それを掴もうと手を伸ばしている人ばかり。一方私は半径2メートルの植物を枯れないようにただ心配しているだけ。私もきちんとやりたいことや、好きなことに一生懸命になれる方法や行動を見つけていかなきゃなと思った。東京はすごいなあ。田舎だって夢を追ってもがいている人はいるんだろうけれど、東京はそうやって簡単に出会える。田舎から一念発起して、東京に出てきて、いまの人生かけて夢中になれるものを既に見つけている人がいる。その夢みたいなものがどんな形であってもいいんだと思うけれど、なんかあるとやっぱいいよなって思う。まだ私は若くて、どんなことも失敗を省みずにチャレンジできるのに、すっかり田舎の穏やかさに甘えてそれを忘れていた。田舎は大好きだよ。人も街も、空気も大好きだ。でもそういう、ピリッとしている空気やギラギラしたものをまだ求めてもいいのかもなと思った。久しぶりに東京へ行って、その感じを思い出した。

 

卒論が終わって、田舎に戻ってきていろんなことがやっとほっとした。今日で授業が終わって冬休みが始まった。折坂悠太の「朝顔」のthe first takeがユーチューブに上がっていたので見た。もともと知っている曲だったけれど、「監察医 朝顔」を見たとき、エンディングで流れてきたこの曲に思わず涙が出た。それからなんだかこの曲は特別になっていた。夜、ベランダに出てたばこを吸いながらそれを聴く。空は曇りがちで月が影っているのだけが見えた。でも、曲が終盤になっていき、雲がだんだんと晴れて、月の輪郭が見えるほどになった。西の空にあるのに、上りかけの月のようなオレンジ色をしていた。上着を着ていたので寒くはなかった。でも吐く息だけは、タバコの煙を押しのけて白く、寒いと言っていた。折坂はことばを大事にしているんだろうな、ということが歌にしてもよく伝わる。音楽にすると詩、言葉の意味は薄れてしまうという考え方がある。私もそれに同意である。でも、だからこそ、耳に入ってくる言葉に気が付いた時にどれだけそれが重たいのか気が付く時もある。折坂の書く詩はそれを気づかせるスピードが速いなと思う。彼の言葉選びだったり、曲だったり、歌い方だったり、なにかあるんだろうな。私の勝手な考えだけど。なんだかいい時間だった。久しぶりに日記を書く気にもなった。折坂の「朝顔」とオレンジ色の月が、何か書いとかなきゃなという気にさせた。夏前から育てていたガジュマルの葉っぱが死んでいた。植物の世話すらままならないのか私は。色んなことがあんまり上手にできない一年だった。今年ももうすぐ終わる。

7 Dec. ☺️ lazy diary 16

 

街に出て卒論を書いている。

教授に進捗を送ったら中間報告で別冊付録にしなと言われた内容を本論で描くように言われた。いや、別冊で出す予定(は消えていたけど)だから本論は違うこと調べていたんだけど…おれの1万字は無駄だったん!?となった。けれどブーブー言っていても物書きは進まないのでおいおい…という言葉を飲み込み(ここでは書いて)進めることにした。

 

あと10日で2万字を書く予定なんだけど本当にできるのか?とシラフに戻ったら思っちゃうところを、スーパーハイにつき根拠のない自信がみなぎっているのでできる気がする。今日もいっぱい書いた。夜も書けたらいいけど。とはいえ、スーパーハイの後に“無”が来るのがルーティーン化しているので今回ばかりはそれを脱却したい。無になる暇が全くないので。

 

明日は授業と課題出して、バイトして、卒論も書けたらいい。ついにバイトでソロデビューする。それが怖い。今までは研修生だったので先輩バイトが1人いてその人に頼りながらやっていた。個営居酒屋の火曜日ってどのくらい混むの?来たいと思う?混まないといいんだけど…。店長には悪いけど暇すぎるし帰っていいよ…と言われることを期待する。でも大抵こういう期待は裏切られるので気合を入れて明日に挑みたい。来たいと期待と気合で韻を踏む。←なに?

 

今朝までの1週間、姉が帰省していた。おじいが12月、1月と1ヶ月空きで立て続けに亡くなったのでそれの3回忌をかねて帰って来てくれた。2週連続の日曜日にじいちゃんズの法事があった。寂しいけれど家族や親戚が集まれるのは嬉しい。このご時世でなかなか会えないしね。いとこの子供やおじさんに会えたりした。いま、家族4人がほぼずっと家にいられる状況、おばあも一緒に住んでいるので1週間だけ家に6人がいた。多い。子供3人(姉兄私)は高校やら大学やらの進学で実家を出させてもらったので、一時は家におばあ母父(おじいは入院など)だったので6人が1週間いるって多いなと親さんたちは思ってたと思う。私も多いなと思ったし。でもなんか、その環境がすごく久しぶりで嬉しかった。兄と姉がいて家族と過ごす時間があまりなかったから嬉しくて全然卒論書けなかったけど(そのせいは少ししかないと思うけど)なんか良かったな〜と思う。

 

最近は天気が良い日が多い、快晴です!みたいな日すら多い。冬ってこんな感じだったっけ。去年の冬はロンドンにいたな〜。ずっと天気悪かったな〜。インスタのアーカイブを見てうわ〜ウィンターワンダーランドにいる…こんな楽しいことしてる…など思い出がびっくりするほどキラキラしていて投稿しそうになる。でも過去にすがるな!みたいな気持ちでその手を止める。たまに投稿するけど。まだ私は思い出を思い出として胸に留めることができない子供なのでついつい振り返って今と比較してしまう。そのうちそういうことをしなくても良いようになりたい。思い出を見ているとあ〜この頃はまだマスクしなくて良かったんだよねとすぐ考えるようになった。コロナ以前と以後の思い出写真や動画がすぐわかるようになっちゃったね。なんか嫌だな〜。with コロナみたいな考え本当に嫌だな。ワクチン…という話は、動物はむちゃくちゃ実験されてるんだよねという気になっちゃうから迂闊に言いたくないし。おれの体で作り出したい、耐性を。まあそれもすぐには無理なので色んなことにうまく距離感を持って生活するしかない。天気の話に戻ると、私の家は二世帯ということもあり1階が私たち家族のリビングダイニング、2階がおばあたちのフロア、3階が子供部屋という3階建ての家。北側は道路に面して、隣の家は西側だけ。東と南は駐車場なのでむちゃくちゃでかく見える。田舎だからまあでかい家になるんだけど。なので、朝日も昼間の南からの太陽も夕日もよく入る。天気がいい日が続いているので毎日のようにベランダや部屋から夕日を見る。冬と夏の夕暮れてなんか少し違う気がする。太陽の温かさがなんか違う。冬は寒いから太陽を見て温かさを求めているからかもしれない。わかんないけど、秋から冬の部屋やベランダから見える夕暮れはより良いなと思う。毎度少しずつ違くて感動する。感動したので絵を描いた。私の部屋は旧姉部屋なので、私が見ている夕日も昔は姉が見ていた。それもあって姉がその絵をとっても気に入り姉の家に飾ってくれることになった。とっても嬉しい。人の絵を飾るのっていいよね。私はハルちゃんに描いてもらった私の似顔絵を飾ってる。見るたびにいいな〜と思う。いま見ている景色、好きな景色を誰かと共有したりいいよねって共感できるのって嬉しい。地元に戻って、同郷の友達とあそこっていいよねって話をしても思った。東京にいてもあそこいいよねって話をしたけどなんか地元の話をしている時となんか違う。やっぱ育った場所だからなんかな〜。そんな感じで生まれ育ったずっと見ていた景色も、東京でたからなのか「いいな!」と思えてる。いつでも周りにある当たり前に気がついていたいな!

 

帰って卒論続けるぞーー!

26 Nov.☺ lazy diary 15

 

やっほ~

 久しぶりに普通の日記を書く。

 最近はずっと卒論を書いているふりをしている。フリなだけで全く書けていない。教授に一度提出すると言った日から二週間が経とうとしている。3万字書くのに6000字しか書けてない。今日もゼミをサボった。サボっても卒論を書けばチャラ(だと思ってる)なんだけど書いていないからこうして日記を書いている。あと二週間少しで最終提出です。

 

 世の大学には卒論を書かないでも卒業できるところもあるらしい。うらやましい。学生生活の最後の試練だと思って頑張らなきゃいけないなと建前上は思っているけど全部嘘。そういうの全部避けてやってきたから。

 高校生の時も、部活を一生懸命やっていたふりをしていた。文武両道が基本とされていたしキャプテンとかやらせてもらっていたから、人一倍に部活も学業もやらなきゃいけなかったけど全然頑張る意味が分からなくてやってこなかった。普通に赤点取ってたし、朝練も朝起きれないから行ってなかった。そうやっていつでも甘えてギリセーフみたいなところで済ませてきた。留学を経て変わるかと思ったけどそんなことなかったね。語学学校でも出席日数足りなくて、卒業できない予定だったけどどうにかしてもらって卒業できた。(どうにかできなかったら仲良しだった先生が勝手に卒業証書作るからねとも言ってくれてた。)そんな風に、頑張りきることをせずになんでかずっとやってこれちゃってたので「ここぞの時に頑張る」みたいのが完全にできなくなった。たぶん、この自覚があるから本当は頑張りたいし、頑張るのもそんなに嫌いじゃないんだと思うけど。ずっと頑張るの理由が誰かのためみたいな感じだったからもうなんかどうでもよくなっちゃってるていうのが本音のところ。「わからんがとりあえず頑張る」ていうカードを使い果たした説もある。むちゃくちゃ頑張っていた時期もあった。本来むちゃくちゃ真面目なので。

 

 ほんで今。卒業して何になるの?という気持ちがすっごいでかくなっている。卒業後は日本語教諭になるための専門に通う予定だとうたって、就活はしていない。就活したくなかったし、やりたい仕事もないのに働くって…という気持ちもあってとりあえず仕事もらえそうだし言葉は好きだしという理由で日本語教諭になろうとしている。しかしそれになんのもなんだかな~の気持ちになっちゃってる。だって給料低いし、教員て時間外労働ばっかだし…。まあ海外で働くためには近道にもなりそうだけど。

 周りと比較はそんなにしないけど、他の人はそれなりのところに就職したり、学があったり、夢があったりして進んでいる。みんな仕事しんどそうだけど。みんな偉いな~と漠然と思う。もちろんいろんな返済がらみ、なんかのローン組んでるとかそういう決まりがある人はつべこべ言わずに働かなきゃいけないんだよというのもわかっている。もらえるかわからん年金納めて、病気するかもわからんが保険に入って、良くなる兆しのない未来のために貯金して…残った金で生活を回すみたいなの全然想像できない。もう想像しなきゃいけない段階に入ってるのもわかってるんだけど。なんだか私はずっと長生きすることとか、将来でかい家に住むとか、犬と暮らすとか子供を持つとかに希望が抱けない。たぶんずっと与えられて何不自由なく生活させてもらってきたから自分だけで立って生活するっていうのがわかってないだけなんだけど。わかっているのは、なんとなく親の世話はするんだろうなとかていうことくらい。

 コロナになって人と会って話すことが減っているから、生の情報や考え方が手に入りにくくてこうやってどんどんマイナスではないけどプラスじゃない方向に思考が偏っているんだろうなというのは自覚している。自覚しているんだけどね。SNSで見られるみんなの近況はフェイクじゃんか。特別綺麗か特別暗いものでしかなくってさ。その間の何ともないことって会わなきゃ気が付けないし、話さないし、わからない。人と会うことが何より大事だなと感じている。あんまり先の将来のこと考えても意味ないってことに気が付いたり、めんどくさくてもとりあえずやっとく方が得だよってことを教えてもらったり。最近友人たちと電話をして気が楽になった。仕事をしている人は会社の人なり営業先の人なりと喋るんだろうけど、私はずっと家族としか顔合わせてないんだよとかって思ってしまう。バイトを始めて、やっと外部が混じる生活になって自分でも明るさが戻ってきてるかもと思う。ひきこもってると本当に思考が偏って独りになってみんな変わったな、なんて勝手に思ってしまう。簡単に連絡を取れるようになったし、簡単に誰かの近況がわかる世の中だけど、生身同士が生むものって大きいなとより感じるようになった。とは言ってもこのご時世なので閉鎖されてる環境でも、声を聞ければ安心したりする、という点で電話はすごい。

 

 落ちたときは嫌でも人に会いなっていうのを親友が受け売りで教えてくれた。ごもっとも。落ちてるときに話しても相手にネガティブを分けちゃうだけだとかって思って文字を送る事すらためらうけど、友達って結構優しいから話聞いてくれたりどうでもいい話をしてくれたりする。自分の中で築いたこのバッドを誰かに壊させてたまるかよ!とか、これは俺の問題でお前が解決できるわけない!みたいな気持になっちゃったりするんだけど、全然楽になったりするんだよな~。このこと忘れないでいたいな。

 

 みんなもコロナ渦で人に会うのも難しくなってるし、わたしは田舎に戻ったからもっと会いたいときに会いたい人に会えないって状況があるけど、いつでも電話しようね~。ほんで大きな移動はいい顔されないけど、どうしてもって時は時間がなくても時間つくって会おうね。体はもちろんだけど、心が健康でいることが大切だから。

 

 あんまし将来がどうとかって考えすぎないで暮らしていたいね。とりあえず目の前のことだけこなして。だから、どうにかしてでも、どんなデキでもいいからなんとか卒論書いて卒業しろってケツ叩いてくれない?

28 Apr.☺ lazy diary

 

 朝起きて窓を開けると、朝が冬のツンとする空気から春のやわらかい空気に変わっていることに気が付いた。4月も終盤、春ももうすぐ終わる。

  

 前回の日記で読書について書いたがあれから本当に本を読まなくなってしまった。毎回そうだが、誰かにこれをやるよ、これをしているよと話してしまうとそれまでのモチベが嘘のようになくなっていく。まったく理由がわからないが毎度だ。だから最近はなるべく何をしているとか何をしたいだとかを言わないようにしている。

 

 そんなわけでずっと家でゴロゴロしかしていなかった。毎日同じ生活(だらだら)を繰り返し、会うのは家族だけ、気づかぬうちにかなり滅入っていたようだ。そんなところに母からパート先の八百屋スーパーの手伝いをしないかと声をかけてもらった。やることもないのでふたつ返事で承諾した。パートさんたちはみんな50歳以上。70歳以上の人もいるので、コロナへの不安を感じる方には休んでもらい、そこの補欠として私が入るという感じ。留学していたこともあり、一年以上ぶりの社会復帰(アルバイト)。かなり緊張した。勤務が始まる一週間前から気持ちが落ち始め、本当にやるべきなのか?という話を母とした。黙ってやれよという話だ。

 

 そして初日、久しぶりの他人。思いのほかすんなりと仕事ができた。仕事と言っても主な仕事内容はカゴやカートの消毒。消毒戦士。入口に立ち、アルコールを含ませた紙ナプキンでカゴを拭いていく。単純軽作業という感じ。

 積み上げられたカゴをひとしきり拭くと、次は帰るお客さんの使用済みカゴ拭き。笑顔でカゴを受け取っていく。お客さんのカゴの渡し方にはいろんなタイプがある。素直に私に渡す、それに加え感謝や労いの言葉をかけてくれる、自ら重ねようとする、除菌済みカゴ棚に重ねていく(これが一番困る)、お客さんもじいさんばあさんなので袋に商品を詰めたあと台に忘れて置いていくのもある。最初の頃は、全部を消毒したい、全部をきちんと綺麗にしておきたいという完璧主義的思考(完璧主義ではないのにね)が終わりのないこの作業に対しうまれ、かなりイラついた。

 何日か勤務して、今はというと、まあ別にええかという気持ちになった。週4、2~3時間の私の勤務中だけの作業。効果があるのかわからん。私の勤務中にすべてのカゴがきれいでなくても誰も気にしない。ほぼプラシーボ。むしろ私が消毒戦士をやっていると気づくじじばばは、まあ少ない。知らんちょっと若いスタッフが増えたくらいにしか思ってないのかもしれない…。まあね、わざわざ感謝してもらうほどの仕事でもないし…。気にしなくってオッケーオッケー!

 と思いつつ、はたしてこれはやってる意味あるのだろうか…?なくはないだろうけど、わざわざバイトを増やして金かけてやることなのか?30分に一度でも適当にアルコールスプレーをカゴに吹きかければいいだけではないのか?など自分の勤務意義についても考える。とはいっても頼まれているし消毒しているだけで給料ももらえるしラッキーラッキー…。

 

 人に会うのは良い。引きこもりがちな昨今なのでじじばばたちも外に出るのは稀だろう。おそらく彼らも会話が減っているだろう。何気ない挨拶や、天気の話、いやになっちゃうね~という他愛のない会話や小さな愚痴も誰かに言えるのは嬉しい。人に会うのはいい。知っている人も知らない人も誰かの顔が見えて、私のいないところで、世界で、生活があるというのを思い出せるのはいい。それにお金をもらえるのもいい。小さなスーパーの端に立ち、忙しくないのにせわしなく仕事をしている風に振舞いながらそんなことを考えた。

 

 

oneday July(2019) ☺ lazy diary

 完全にlazy diaryになっている。

 

毎回そうだ。日記帳を買っても、手帳に一言書きとめようとも、こういったブログであっても日記が長く続いたためしがない。まあそれは、日記だけの話ではないが。

 

いま、ふと「令和は継続をがんばる」などと思った。

平成に生まれて平成に生きてきた(自覚はないが世間はそういう言い方をしているし乗っかってみる)。しかし、新しい元号というのにピンとこない。たぶん日本にいてもいなくてもそのフワっとした感じは変わらないのだろう。令和を自覚するのは「あれ、今日って何年だっけ」を書く時だけなんだろうなと思う。ともかく、せっかく元号が変わったことだし。飽き性なことは何一つよくないし、継続ってのにチャレンジしてみるかと思う。

 

まあたぶん無理なんだけど。性分なので変えられようがないと思っているし。飽き性は何一つよくないと書いたが、書こうと思えばいいところだってたぶんそれっぽく書ける。

と、何か目標を思ってもこの様であり、何かとつけて無理だ無理だと言い張る。さらに目標に対しても飽きる。屁理屈はいい加減やめたい、誰も幸せになれないし。飽きるという感情も一緒に捨てたい、しかし捨ててしまったら周りが嫌になるほどそれに熱中してしまうだろうな。私はこう見えてずっと周りとのバランスを考えて生きてきたタチなのでそういうことを気にする。でもここでは関係ない、またそう言って自分を肯定しにかかる。危ない、また自分を変な角度から褒めるところだった。本当によくない、情けなさを少しは認めたらどうだ。(REIWAと打ったら一番に令和が出てきておどろいた。)

 

 

最近のロンドンは23度ほどと日中は過ごしやすく、朝晩はやや冷える。湿度は低い。じめじめが全くなく感動している。先週はわりと晴れて気分もよかった(二週間前は本当にずっと天気が悪くて最悪だった)。やっと夏が来るかな、といった様子だ。

 

この前の土曜日はなぜだか一日だけ33度になるという予報で、天候も晴れ、完全に夏が来るぞ!の予報だった。天気予報を見てあれほどわくわくしたのは久しぶりだ。

 

そして金曜の夜にイギリスの南の海辺の街、ブライトンに行くことを決めた。

もともと留学について自分で調べていた時はブライトンの学校へ行くつもりでだったが、いろいろありロンドンに決めた。ロンドンももちろん好きだ、人が多すぎるところと工事中の建物たちをのぞけば。

そんなこともあり、イギリスで一番行きたいと思っていたのがブライトンだった。生まれながらの“海狂い”の私はやっと異国の海が見れるぞとかなり興奮していた。加えていきなり夏の天気、一番好きな季節だ、私の気持ちは最高潮。

 

朝、気持ちよく起床し、この日のために買ったキャスキッドソンの新しいワンピース(半値のセール品)を身にまとい、お化粧を済ませ、家を出た。

バスや地下鉄を乗り換え大きな駅へ。その大きな駅からブライトンへ行けるロマンスカーのような電車に乗る。その切符は昨夜に予約済みなので旅のお供におやつを買うかとお店へ入る(珍しく余裕をもって駅までこれたので買い物ができた、しかしこういう時に買うおやつはあとで買ったことを後悔するようになっている)。

さて、10分前だしホームへ向かうか、と思ったときに切符の発行が必要なことに気が付いた(スマホのQRだけで乗れるときがある)。それじゃあ、発行するか~と発券機をみたら長蛇の列。もちろん並ぶが、完全に嫌な予感。そして案の定その予感はあたる。電車を逃した。しかもその電車は9:40出発予定も9:38に出発した。私は9:39にはホームにいたのだ。なぜ乗れないんだ。時間を守れ。

一凹みしたあとお姉さんに案内されるがままブライトン行の次の電車が待つホームへ向かった。無事乗車することができ、1時間半ほど電車に揺られた。おやつは食べれなかった。やっぱり。

 

ブライトンへ着くと、人がごった返していた。ロンドンから一時間半ほどで行けることもありショートトリップにはうってつけのようだ。

デイトリップはもちろん、宿泊することもあるらしい。ヨーロッパ、地中海などの海に行けない人がブライトンには行くと誰かに教えてもらったがそんな言い方あるか、と思った。

 

 

天気はカラッとして、日差しはじりじりと街をあっためていた。みんなそれぞれに薄めのお洋服を身にまとい、夏への準備万端だ。海に向かっているという事実だけで私はついつい口元がほころぶ。町並みはロンドンとは違い、白っぽい建物が多くあった。地中海のどこかの街もこんな感じなのかなと思ったりした。海までの道はほぼ一本道。みなが同じ方向に向かって歩いていたので私もそれに続いた。

建物の間から水平線が見える。その瞬間の気持ちは何にも代えがたい。いつでも新鮮にあの気持ちを感じられる。私は海なし県に生まれ育ったので小さなころから海は特別で、“おでかけ”の場所だった。いつどこで海を見ても同じあのわくわくがくる。あの気持ちが大好きだ。

 

いよいよ浜辺へ着くと、太陽を”より”強く感じた。日光浴を楽しむ人、波打ち際で遊ぶ子供、まさに夏の海!何かの記事で「ブライトンの海は汚いので泳げない」と書いてあったので気にしていたがそんなことはなく、私も海水を触りに行った。家族連れや若者たちが泳いだり遊んだりしていた。(ブライトンに対するマイナスな日本人の記事を多く目にした。どのエリアが危ないという記事もホストファミリーに聞いてみたらそんなことなかった)

 

浜辺はお饅頭くらいの石だらけ。砂浜ではなく石浜。ごつごつしているけど細かい砂が体につかないのはいいかも。

適当に陣取りのんびりし始めた。海はいつまでも見ていられる。しばらくぼうっとして、本を読んだ。日本から、持ってきた小説が一冊だけある。それを読んだ。それから昼寝をした。30分ほどたって目が覚めた。イギリスの日差しは強い。湿度がないからか空気は熱をはらまない。時折吹く風が少しひんやりとしていて心地よかった。日陰はヒヤッとするほど涼しい。完璧な天候だった。

贅沢な昼寝だったが、足のひりつきに気づいた。左足はひざ下のすねの左側だけ、右足はところどころが真っ赤になっていた。日焼け止めの塗りを失敗している。波打ち際で足を海水につけたとき一度だけひざ下までくる波が来た。たぶんそれが日焼け止めをさらっていた。私は50パーセントの日焼け止めを信じ、塗り直すことなく過ごしていた。そして私の足はひどく変な日焼けをゲットした。昼食を取り、そのあともふらふらと街を回ったが、ついつい足のひりつきに気を取られてすっかり疲れてしまった。サマータイムに入ったイギリスの日照時間は長い。陽の傾きに惑わされずに家路についた。へんてこな日焼けが痛み、帰りのスーパーでアロエのジェルを買った。かなり高かったが、買わないという選択肢はなかった。ともあれ、良い日だった。