わかちこ(ぼやく回)

 

hi guys 

なんて書きだすブログをはじめた。

もう3つも投稿した。全編英語、大したもんよ。もともと英語に興味はなく、理解しようとしていなかったので喋れたのかどうも知らない。そのためはっきりとした成長がぶっちゃけわからない。今は必要に迫られているし、何よりそれだけを勉強しているわけなので使えるようになってきた気がする。私としては成長しているつもりだ。たぶん使おうと思えば一年前もそれなりに喋れたんじゃないかと思う。が、全然できなかったことにしておく。そのほうがなんていうか都合がいい。伸びしろを感じ、達成感を得やすい、そうすればより成長したいと思えるはずである。

同期は院進や就活でそわそわしている。それ以外もいるがその子らもそわそわしている。私は一人で滞っている。はたから見れば大きなチャレンジと思われているようだが当の本人はあっけらかんとして、なんだかすべてを受け入れすぎている。みなが今感じている「そわ」を感じられていないのだ。なんだか変だ。イギリスについた日から妙に肌なじみが良く、イギリスにいる自分を現実パートに組み込ませている。写真を頻繁に撮るなんてこともせず、有名な観光地に足を運ぶこともしない、友達とどこかへ行ってもすかした様子だ。何様なんだ、ここで生まれでもしたんか。お前は栃木で生まれたんだ。忘れるな。

相変わらず群れを嫌い、連れをつくろうとせず、やや斜に構え、自ら生きにくくして生きている。はっきり言って面倒くさいが根本にそれがいるのでなおせない。どうしたものか。

 

今、“バッドに入る”みたいなことがまわりでは全く起きていない。数か月前までは私のまわりにはそれがうじゃうじゃ落ちていたし、そんな人が当たり前にいた。私もその一人である。そして今もなお何も変わっていない。

こちらへ来てきちんと月1~2回ほどバッドに入っている。そしてその不快を学校へ連れて行くのだが、毎日みんな元気なのでそのこと忘れたりする。なぜそんなにいつでも元気なのかと考えていた。そしてある日気づいたのだ。それは、「わかちこ」だ。みな、いつでもわかちこモードなのだ。たいていのことに対しほとんどがわかちこといった様子だったのだ。自身の見解にかなり納得がいった。だからか、と。彼らのわかちこがわたしに伝染して私はバッドを忘れることができているのかと。

しかし私のバッドはわかちこで消えるのかと、少し寂しくもなった。わかちこで消える程度だったのかと。元気になれるのならなんだっていいと思っていた。だが、わかちことなると少し違う。私が家で悶々と頭をぶつけながら創り上げたでかく厚い壁と重たい足かせをわかちこの4文字がフワっと消すのだ。いや、わかちこのオーラだけで、だ。彼らはわかちことは言わない。彼らが発するオーラが私にわかちこを感じ取らせている。悔しい。非常に悔しい。あまりにもあっけない。あの悶々とした時間はなんだったのかと思う。あんなふざけた4文字(ゆってぃには申し訳ないが)で私の壁や足かせが消えるなんて。というか、彼らはわかちこを知っているのか?もしかして、わかちこを知らずしてわかちこを呈しているのか?そんなことできるのか…?そもそもわかちことはなんだ?わかちこ自体に意味はあるのか?……

などといったことを考えたりしている。くだらないことを考えていたいし話したい。吐き出したくて仕方ない。今は英語を使うことに一所懸命ばかりである。だからか、顔を向かい合わせ、くだらない話をする相手はまだいない。英語でわかちこの話をできる友人に出会えるとは今のところ思えない。

しかし、いいのだ。受け入れていくのだ。いずれ私もそんな友人ができるであろう。徐々に私は成長していけるだろう、それまで今はただ、ちっちゃいことは気にすんな。