13 Apr☺ lazy diary 11

 hi guys

 

 久しぶりの日記。

 書いていない間に私は帰国をして一か月以上が経ってしまった。どうにもこの日記は習慣化することはできなかった。

 

 あっという間に時間が過ぎている。ロンドンで過ごした時間が全部が思い出になってきている。こんなことしたね、と笑い合える時間は一瞬で、あんなことあったなという記憶になってしまうのは何度やっても少し悲しい気持になる。けれどそれを受け入れていけるようになるのが大人になるってことだろうなと最近気が付いた。なので受け入れることにする。経験のひとつ、固執はよくない。たまにするけど。

 

 友人の多くは大学を卒業して就職するなりまた新しい生活が始まったようだ。しかし、コロナがそれを円満には進ませない。新社会人の多くは出鼻から在宅での研修、新生活にはなんとも苦い始まりだ。春一番の楽しみである花見もできなければ友達と会う事さえできない。幸運なことに私はそのくらいしか影響は受けてない。いま本当に大変なことになっているけど今回は私の半径1メートルの話をしたい。

 

 楽しみだった大学の復学も1か月遅れの始業が決まり、今は実家でのんびりと生活している。友達と連絡を取ったり、ギターを練習したり、犬と散歩したり、花や木の様子をみたり、本を読んだり意外とやることはある。とポジティブにやれている。どうやら私にはニートの素質があるようだ。それほど退屈になることはない。出不精がこんな時に吉と出るとは。

 

 本を読むことを蓄えだと考えていた。読む本全てを糧にしていかなければいけないと。私は遅読で、注意散漫。お世辞にも読書向きの人ではない。それに選ぶ本も有名どころや読んでおいた方がいいよなあというものばかり。しかし最近気軽に本を読めるようになってきた。

 今となっては一か月前くらいになるだろうか、友人と古本屋に行った。プレ花見をしようと誘ったことが始まりだが、彼は最初から吉祥寺で古本屋巡りをしようと思っていたようだ。そこでそれにお供する形で合流した。ブックオフくらいしか古本屋は行ったことがなかったので個営の古本屋とはなんぞやという思いのまま向かった。結果、かなり楽しかった。新書を扱う本屋では特別にその分野に向かわないと出会えないであろう本と古本屋ではポンポン巡り会う、とても面白い。本来、目的の本がないと本屋すら行くことがないので、行き当たりばったりで本を見るのがなかなか新鮮だった。その日わたしは気になった本を2冊買った。

 それまで2冊以上の本を同時に読み進めることをしたことがなかったのでわたしの本棚には積ん読と呼ばれる出番を待っている本がたくさんある。しかし、彼との会話の中で同時に読んでもいいのかと気が付いた。別にへらへら読んでもいいのかと。何に対しても情みたいなものが湧いてしまい真摯に向き合わなくては!と思いがちだったが気楽に構えてもいいのかと思った。真摯というか律儀にというか。

 それから、買った本を優先的に読むこともなく、家にあった気になる本を手に取ったりその日その日で本を選びパラパラと読んでいる。天気がいい日には庭に出て読んでみたり、ひとり公園に行って散歩をした後にベンチに座り本を読む時間を設けてみたり。いろんな場所で本を読んでみている。本に没頭するという時間を久しく忘れていたけれど、やはり楽しいものだ。たくさん読書をすることに越したことはないけれど、なにも読んでないからと負い目を負う必要もない。と思いたい。そうはいっても、書くことが好きなので自分の書く文字が上澄みにならないようにも本は読めるだけ読んでいたいと思う。

 

 と、読書も合間をぬってどころか贅沢にできている。この一か月の自由な時間を無駄にはしないぞと思わずにのんびりできている。直感的にそれでいいかなと思っているのでそうしている。だらだらできるうちにだらだらしておきたい。いつか忙しくなるんだから。(今までもずっとそうしてきて忙しくなったことはまだない。ただの怠惰が続いているだけかもしれない。)

 

家でできることがまだたくさんありそうだ。部屋の片づけはまだ終わってない。一か月半ずっと部屋の片づけをしている(ことになっている)。そのうち甘いものを焼いたりしたいなとか料理をしようかなとか考えている。いろんなことを考えてはいる。実行できるかは別として。そうは言っても友達には会いたい、遊びにも行きたい。ぜんぶが穏やかになることを願って家で待つばかり。父が帰ってきたのでもう終わり。またすぐ書けたらいいな。