24 Dec.☺ lazy diary 17

 

卒論が無事終わり、地元に帰ってきた。

最後の一週間は北区に独り暮らしする親友の家に世話になり毎日だらだらと10時間くらい書いていたと思う。最終日らへんには40時間くらいぶっ続けで働かない頭を頼って満身創痍で書いていた。やっと終わって提出をしに行く日にはその家を出なければいけなかったので荷物をまとめてお礼をして出かけた。

同じ日、東京でできた親友が新譜を発表したので、フィジカルを手に入れてないままで聞くのも悪いなあと思いながらサブスクでそのEPを聞いた。元々、大学が一緒だったので、彼女と何度も通った大学までの道を歩きながら今の彼女が作る音楽を聴くというのは少し感慨深いものがあった。実際にその曲もむちゃくちゃ良くて鳥肌が立ったし、泣きそうになった。すごいなあ…かっこいいなあ~…。いや、私も今日はひとつのものを完成させたし…となんとか自分を肯定しながら歩いた。大学へ着き、卒論の受理をしてもらえる場所へ着いた。担当の人に見せると、中表紙と概要の順番が間違ってるからこの部屋を出て直してきて、と言われた。きちんと提出の仕方を読んでなかった私が悪いけれどなんか少し腹が立った。直すための別室でそれを直していると、目次のページ数の部分が書き途中であったことに気が付いた。でも今からまた直してプリントする時間もないので、ミスに目をつむり指摘された順番だけを直して提出した。母に、全部終わったよと電話をした。その時に、ページ数くらい手書きで書き込めばよかったことに気が付いた。かなり凹んだ。あんなに時間かけてやってきたことなのに結局詰めが甘い。いつも通りの私。でも逆にいつも通りの私なら、なんだかどこか余裕で、そんなことなんか簡単に気が付けるのにと思った。それができないほどその時は小さなことに焦っていたんだと、一方向からしか見れてなかったんだな、と一生懸命だったことにも気が付いた。ちゃんと今の自分で頑張ってたんだなと少し自分を受け入れた。そんなわけで長いような短いような、長くても短くてもしんどかった卒論が終わった。よかった。すごく安心している。これからは、他の単位を落とさぬようにこぼさぬよう生活し、レポートやテストを進めるだけ。卒論ができたんだからうっかりしなければ全部こなせるはずである。

終わった後に、次に世話になる人の家に向かう。彼女もまた東京でできた親友。前にも行ったことのある家だったから足がなんとなく彼女の家を覚えていた。家に着く前に、彼女が数日前に誕生日だったことを思い出し、花屋に向かって小さな花束を作ってもらった。彼女と久しぶりに会う。何も変わらないあったかい時間。その日もまたひとつ提出のレポートがあったのでそれを書いた。それを書いている間、彼女はギターを弾いて歌を歌っていた。私は彼女が音楽を触っているときがとても好きだ。レポートの提出が済んだら、最近作ったんだという曲を聴かせてもらった。そうやって新しくできたものを披露してもらえるのはとてもうれしい。今朝も親友の新譜を聴いて泣いてしまいそうだったのに、また彼女の新しいこどもを聴いて泣きそうになった。なんて言ったらいいかわからなかった。彼女が作る音楽がどうであるかなんて表現できる言葉を持ち合わせていなかった。だから「いいね、好きだよ」といった気の利かないことしか言えなかった。それでも彼女はすごく喜んでくれて、私も嬉しくなった。それから、サウナへ行こうと移動した。もう一人と合流して銭湯へ向かったが、あいにく臨時休業だったのであきらめた。しょうがないので近場で軽く飲もうかとなり、二人の知っている居酒屋へ行った。適当な酒をそれぞれ頼み、他愛のない話をした。それから二人の友達が来て、結局まあまあの人数になった。私は彼女以外はみんな初めましてだった。けれどみんな優しくて、みんな夢があって、そのために行動を起こしていて、みんなかっこよかった。話していても、ちっとも寂しくならなかった。でもふと、自分が情けないなあと思った。自ら動いて夢を追ったり、それを掴もうと手を伸ばしている人ばかり。一方私は半径2メートルの植物を枯れないようにただ心配しているだけ。私もきちんとやりたいことや、好きなことに一生懸命になれる方法や行動を見つけていかなきゃなと思った。東京はすごいなあ。田舎だって夢を追ってもがいている人はいるんだろうけれど、東京はそうやって簡単に出会える。田舎から一念発起して、東京に出てきて、いまの人生かけて夢中になれるものを既に見つけている人がいる。その夢みたいなものがどんな形であってもいいんだと思うけれど、なんかあるとやっぱいいよなって思う。まだ私は若くて、どんなことも失敗を省みずにチャレンジできるのに、すっかり田舎の穏やかさに甘えてそれを忘れていた。田舎は大好きだよ。人も街も、空気も大好きだ。でもそういう、ピリッとしている空気やギラギラしたものをまだ求めてもいいのかもなと思った。久しぶりに東京へ行って、その感じを思い出した。

 

卒論が終わって、田舎に戻ってきていろんなことがやっとほっとした。今日で授業が終わって冬休みが始まった。折坂悠太の「朝顔」のthe first takeがユーチューブに上がっていたので見た。もともと知っている曲だったけれど、「監察医 朝顔」を見たとき、エンディングで流れてきたこの曲に思わず涙が出た。それからなんだかこの曲は特別になっていた。夜、ベランダに出てたばこを吸いながらそれを聴く。空は曇りがちで月が影っているのだけが見えた。でも、曲が終盤になっていき、雲がだんだんと晴れて、月の輪郭が見えるほどになった。西の空にあるのに、上りかけの月のようなオレンジ色をしていた。上着を着ていたので寒くはなかった。でも吐く息だけは、タバコの煙を押しのけて白く、寒いと言っていた。折坂はことばを大事にしているんだろうな、ということが歌にしてもよく伝わる。音楽にすると詩、言葉の意味は薄れてしまうという考え方がある。私もそれに同意である。でも、だからこそ、耳に入ってくる言葉に気が付いた時にどれだけそれが重たいのか気が付く時もある。折坂の書く詩はそれを気づかせるスピードが速いなと思う。彼の言葉選びだったり、曲だったり、歌い方だったり、なにかあるんだろうな。私の勝手な考えだけど。なんだかいい時間だった。久しぶりに日記を書く気にもなった。折坂の「朝顔」とオレンジ色の月が、何か書いとかなきゃなという気にさせた。夏前から育てていたガジュマルの葉っぱが死んでいた。植物の世話すらままならないのか私は。色んなことがあんまり上手にできない一年だった。今年ももうすぐ終わる。