1 Jan 2020! ☺ lazy diary 8

  2020!

 年が明けました。今年もぼちぼち更新していけたらいいな。

 

 年末、2019年の振り返り日記を書こうとしたけれど筆が上がらず(タイプの手が動かず?)年が明けてしまいました。

 あっという間に2020年だ~!あんなに先のことと思っていた20年がやってきた。私も22歳になったので今年は23歳になるのか…と思っている(それはそう)。

 年々、一年があっという間に過ぎていくという話は耳にタコができるほど聞いてきたけど本当にそれを感じている。2019年も過ぎてしまえば本当にあっという間。早かったなあ。留学生活もあと二か月足らずで終わってしまう。長かったけど早かった。

 

 この一年、やっぱり友達って大切だなとしみじみ感じた。ふと暇だな~と思った時に会える人がいるっていうのはとっても尊いことだね。こちらで友達ももちろんできたけど心のどこかで誘ってしまったら気を使わせるんじゃないかなと思ってしまってお誘いも難しかった。そのため一人で過ごす時間も例年より多く、怠惰に拍車がかかった気がする。

 英語の方はもう10か月近くいるのでそれなりに話せて理解できるようになった。重要なライティングの方はまだまだ。練習量もそうだろうけど一年ではたかが知れてるのかもなと。だから続けていきたいな。残りの二か月でもうちょい頑張りたい。英語版のミニ詩集を作って世話になった先生たちに渡せたらいいなと淡い目標もある(今たてた)。

 

 2019年は、今まで感じたことなかった自分がアジア人であるということをひしひしと感じた一年だった。どこへ行くにも誰と喋るにも私の容姿と英語のアクセントからアジア人というのがばれる。ばれるって言ったら悪いことみたいだけど、いいこともある場面もあるし、窮屈なこともたくさんあった。ほんでアジア人である自覚は持てたけど日本人という自覚は最後まで持つことができなかった。というのも自分の国のことをあまり知らないということから始まり、日本人という他国の人からのイメージと自分があまりにもかけ離れていたからだ。

 親日の人に本当によく会った。狭いコミュニティでしか動けなかったし、私の話を聞いてくれる人も一回私を受け入れてから話を聞いてくれているわけで多いのは当然なんだけど。特に語学学校で出会ういろんな国の人の日本のイメージはかなり良くてみんな日本に対して夢のようなものを抱いていた。私はかえって日本てこんな国だったのかと悲しい気持になる瞬間がたくさんあった。

 

 まず、容姿の話。こちらへ来て気づいたことが、街行く人を見ても流行みたいなものが全くわからなかったこと。よく見ていけば(特に若者)あるんだけど、基本的にはみんな自由な髪形や髪色をして好きに服を着ている。季節にとらわれず自分が快適で、着たいと思っている服を着ている、そんな印象だった。それも相まってか、美しい基準が全くみえなかった。日本に比べてダイバーシティなことも理由の一つには間違いなくある。みんな顔の雰囲気も違うし、肌の色、生まれ持った髪の質や色、体系も千差万別。美しいの基準が作れないから醜い人もわからない。全員こんなにも違って美しいんだと感動した。

 日本は開けてはきているものの、やっぱりずっと閉鎖的で異質をこれでもかと拒む。美しいものも基準が明確にあり、そこから外れる人は非難まではされないもののレールから外されてしまう。自信もこそがれてしまう。基準に沿った綺麗をみんな目指すためおんなじような人がたくさんいる。悪いとは言わない、と言いたいけどやっぱ変だよ!ちょう変!違くていいじゃんね。日本人ぽいね、とひとくくりにされてしまうのも頷ける。おんなじなんだもん。でも実際私にも美の基準のようなものは存在していた。

 私はレッテルみたいなものが本当に嫌いなのでなるべく派手に自分が着たいものをひたすら着て、したい髪形をして、好きなメイクをし続けた。そうしたらなんだかハナはハナだよねという印象を持たれるようになった。日本人のハナよりも坊主の子、あの服を着ている子、といったナショナリティ以外の部分で認知をしてもらえるようになった。これはとっても嬉しいことだった。ありがたいことに誰からも日本はいいイメージ(この日本の広告力はすごいなと思う(皮肉))を持ってもらっているので別に嫌な気持ちになることはかったけれど、自分としてはかなり窮屈だった。一人の人として向き合いたい。それのツールとしての英語はかなり強い。日本人だからと興味を持ってくれる人はいたけれどやっぱりうまくいかなかった。ハナを面白がってもらいたい。それってとっても難しいことだけどね。

 人間みんなうつくしいのよ。それをどう引き出すかが自分の技量なだけであって。本当に自分はブスだからとか太っているからとか痩せすぎだからとかそんなこと気にしてないでそんな自分の好きなところを見つけてそこを見せていけばいいだけ。みんなもっと自分のこと可愛がっていこうね(私はじぶんを可愛がりすぎてしっかり太った。そういうところもいいなと思う)。

 

 他には環境問題のこと。身近な話だと、プラスチック問題。最近では日本もスーパーのレジ袋の有料化がすすんでいるけどあれはお飾りにすぎない。なぜかというと、有料にしたとてそれを買う人はいるし買ったとて素材も弱く一回限りで捨てられてしまうためだ。こちらでは袋はもちろん有料であるし、その袋が頑丈なため何回でも再利用ができる。厚手のビニールで作られているためごみ袋にしてしまうにはもったいないし、破れもしにくいため買い物時にまた持っていくという選択がしやすい。これはかなり理にかなっているなと思った。有料化で購入者を減らすのはもちろん、よいものを売ることで再利用を促す、間違いなく消費量が減る。それにマイバック利用者が驚くほど多い。それもとても感動した。私も大好きなキャスキッドソンでかわいいのを購入して毎度使っている。みんな使ってるし私も使いたいなと思えた。

 他にもお弁当のような総菜のトレイに紙容器がよく使われていた。それを見てから日本のスーパーを思ったら80パーセントの物がプラスチックで包まれているんではないかと気が付いた。ロンドンでもプラスチックのトレイが使われているが、それなりに目立つところにリサイクルができる旨が書かれている。できないもののもちろんあるけれど少ない気がする。コンビニでお弁当を買ったときのトレイをリサイクルに回したことはない。気にも留めなかったし、気づきもしていなかった。

 学校やホームステイ先、ニュースや新聞でも環境問題について扱われることが多く、多くの人がきちんと自分のこととして考えている。実際に過去のことでも未来のことでもなく、今現在の自分たちの問題なのだから考えなければいけないことなのだ。誰かの不倫よりずっと大事なのだ。なんでこんな身近で大きな問題をひとつも考えてこなかったんだろうと自分自身にがっかりした。そしてこの環境問題がどこか他人事な日本に腹が立った。でもこれに気づけたことはこの留学でかなり大きかったと思う。能動的にいろんなことを調べて知っていくことはとっても大事だし必要だが、環境問題は受動的に入ってくる情報としてもっとあっていいなと思った。大きな問題として身近にあり続ければならないと思う。

 

 他にも政治や経済やいろんなことも思ったけどこんなに喋れるほどはわからん。とにかく外から日本を見るチャンスがあったため客観的に日本を見ることができてどれだけ日本が窮屈で遅れているということがわかった。いろんな行動を起こして良い方向に向けられるように頑張りたい。同じような世代で良くなるように動いていきたいし、行動を起こせば変えられるんじゃないかとも思えている。

 結局、日本は私の生まれ育った国であることは間違いないのでふるさとは無下にはできない。

 

なんだか真面目に長々と書いてしまったが2019に新しい場所に来て新しい気持ちや新しいことをたくさん知った。今年も好奇心を絶やさずにいろんな見分を広めて、たまに自分のこともしっかり考えて豊かになっていけたらいいなと思う。

 

次はへらへら書くかんね。今年もどうぞよろしく!