28 Apr.☺ lazy diary

 

 朝起きて窓を開けると、朝が冬のツンとする空気から春のやわらかい空気に変わっていることに気が付いた。4月も終盤、春ももうすぐ終わる。

  

 前回の日記で読書について書いたがあれから本当に本を読まなくなってしまった。毎回そうだが、誰かにこれをやるよ、これをしているよと話してしまうとそれまでのモチベが嘘のようになくなっていく。まったく理由がわからないが毎度だ。だから最近はなるべく何をしているとか何をしたいだとかを言わないようにしている。

 

 そんなわけでずっと家でゴロゴロしかしていなかった。毎日同じ生活(だらだら)を繰り返し、会うのは家族だけ、気づかぬうちにかなり滅入っていたようだ。そんなところに母からパート先の八百屋スーパーの手伝いをしないかと声をかけてもらった。やることもないのでふたつ返事で承諾した。パートさんたちはみんな50歳以上。70歳以上の人もいるので、コロナへの不安を感じる方には休んでもらい、そこの補欠として私が入るという感じ。留学していたこともあり、一年以上ぶりの社会復帰(アルバイト)。かなり緊張した。勤務が始まる一週間前から気持ちが落ち始め、本当にやるべきなのか?という話を母とした。黙ってやれよという話だ。

 

 そして初日、久しぶりの他人。思いのほかすんなりと仕事ができた。仕事と言っても主な仕事内容はカゴやカートの消毒。消毒戦士。入口に立ち、アルコールを含ませた紙ナプキンでカゴを拭いていく。単純軽作業という感じ。

 積み上げられたカゴをひとしきり拭くと、次は帰るお客さんの使用済みカゴ拭き。笑顔でカゴを受け取っていく。お客さんのカゴの渡し方にはいろんなタイプがある。素直に私に渡す、それに加え感謝や労いの言葉をかけてくれる、自ら重ねようとする、除菌済みカゴ棚に重ねていく(これが一番困る)、お客さんもじいさんばあさんなので袋に商品を詰めたあと台に忘れて置いていくのもある。最初の頃は、全部を消毒したい、全部をきちんと綺麗にしておきたいという完璧主義的思考(完璧主義ではないのにね)が終わりのないこの作業に対しうまれ、かなりイラついた。

 何日か勤務して、今はというと、まあ別にええかという気持ちになった。週4、2~3時間の私の勤務中だけの作業。効果があるのかわからん。私の勤務中にすべてのカゴがきれいでなくても誰も気にしない。ほぼプラシーボ。むしろ私が消毒戦士をやっていると気づくじじばばは、まあ少ない。知らんちょっと若いスタッフが増えたくらいにしか思ってないのかもしれない…。まあね、わざわざ感謝してもらうほどの仕事でもないし…。気にしなくってオッケーオッケー!

 と思いつつ、はたしてこれはやってる意味あるのだろうか…?なくはないだろうけど、わざわざバイトを増やして金かけてやることなのか?30分に一度でも適当にアルコールスプレーをカゴに吹きかければいいだけではないのか?など自分の勤務意義についても考える。とはいっても頼まれているし消毒しているだけで給料ももらえるしラッキーラッキー…。

 

 人に会うのは良い。引きこもりがちな昨今なのでじじばばたちも外に出るのは稀だろう。おそらく彼らも会話が減っているだろう。何気ない挨拶や、天気の話、いやになっちゃうね~という他愛のない会話や小さな愚痴も誰かに言えるのは嬉しい。人に会うのはいい。知っている人も知らない人も誰かの顔が見えて、私のいないところで、世界で、生活があるというのを思い出せるのはいい。それにお金をもらえるのもいい。小さなスーパーの端に立ち、忙しくないのにせわしなく仕事をしている風に振舞いながらそんなことを考えた。