6 Jan☺ lazy diary 9

 

 学校が始まった。今までは憂鬱な長期休み終わりが、今回は違った。というのも大怠惰な生活を続けて習慣すらない生活を送っていたためそれからの脱却という意味でかなりポップだった。そして無事に7時起床予定から8時まで目覚ましと戦って8時20分に起きて半に家を出るという生活が始まった。頑張ろう早起き。

 

 ポップな休み明けとは裏腹に身近にも遠くにも、悲しい出来事が多くて胸が詰まる。やるせないことばかり。どうにか平和を作り出せないものなのか。人と人もそうなんだけど、自然に対しても。人が殺し合うのも寂しいけれど自然が死んでいくのはそれ以上に私は寂しい。気づかないうちに私も殺しているし無責任なことを言うなという話なんだけど、悲しいものは悲しい。いつからこんなこんがらがっているのだろう。昔からそうだったのか、私がただ気づいていなかっただけ?

 自然についての詩を書いているけれど迂闊に書けなくなりそうで怖い。芸術と思想は表裏一体であるし、思想には行動が伴わなくてはいけない。思っているだけでは本当に何も意味がないしね。などとうだうだクダをまいている。

 

 死んでしまうのが一番エコなんだろうなと思う。これ以上に何も排出しなくて済むから。でも火葬は結構いくだろうなとも考える。何が一番いいんだろうな。

 死んでしまうなんて口に出してしまったけど割と身近な人がまた最近も死んでしまって、知り合いが増えるというのはこういうのに出会う確率も増えるという事なんだなと実感している。誰の死も信じられない。そしてどういうタイミングか、誰かの死をまた違う誰かに伝えるという役回りを担うことが多い。この2年で3回もあった。人生で1,2回あれば多い方だと思っていたがもうそれは越えてしまった。あんなに滅入る事はない。できることならもうやりたくない。誰かの死を知ることもしたくない、というより誰も死んでほしくない。

 でも地球を思ったら全員死ななきゃなって思う。どうも自分勝手な考えだ。いつになったら人間はエゴを捨てられるのだろうね。私はいつ捨てられるんだろう。いつ平和になるんだろうね、これも私のエゴなんだろうけど。