東京とわたし

 

7年住んだ東京を離れることになった。実際に今住んでいるところは川崎だけど。

 

中学卒業と同時に夢と期待を胸に東京へ出てきた。部活を熱心にやっていたわたしはその関係で都内の高校に進学を望み、親をはじめ家族たちに背中を押してもらいこの決断をすることができた。

 

当時のわたしは、「高校から東京なんてかっけ〜」くらいの気持ちでそれほど大きな選択だとも思わずみんなが高校を決めて行くように地元を離れた。

今考えると当時のお母さんやお父さんはどれほど心配していたのだろうと思う。もし私が親の立場になって自分の子どもが14、5歳で離れて暮らすと決断したらむちゃくちゃ戸惑うと思う。もちろん応援はしたいし、彼または彼女の決断を大いに尊重したい。しかし、まだ14年しか一緒に住んでいないのに、と悲しくなると思う。そんなこと当時のわたしはつゆ知らず、思いもせずにワクワクだけを頼って東京へ向かった。

 

下宿生活や部活動の毎日の練習、苦しいことも辛いこともたくさんあった濃密な高校生活を送り、大学も都内に進学した。その時のわたしはもう地元に戻るという選択肢はなかった。大学も東京や神奈川か、京都や大阪に飛ぶかというありふれた都会に憧れる18歳だった。

 

運動部からきっぱり足を洗って、文学科ではあるけれど一種の芸術を学べる大学へ進学した。その時も家族は背中を押してくれた。9年も続けた部活をきっぱりとやめると言ったのに。その時もわたしは、この道じゃない、ここはわたしの居場所じゃないなとあっさりとやめる決意をしたのだが、これに関しても親からしたら「あれほど応援していたのにやめちゃうのか…」と思っただろう。

 

大学へ進学し、はじめの1年半は姉と共に暮らした。たくさん喧嘩もしたしたくさん楽しいこともあった。授業で友達ができたり、サークルでたくさんの出会いがあった。そもそも学ぶことがそれほど好きではなかったこともあり、大学進学は否定的だったが、親は大学進学を強く勧めてくれて今の大学に入ることができた。今は本当に大学に行けてよかったなあと思う。絶対に出会わなかったであろう人たちと出会って、夢のような時間をたくさん過ごすことができた。

 

地元を離れて、いわゆる上京をして、8年が経とうとしている。物心ついてからの人生の半分弱くらいを東京で過ごしている。それは言い過ぎかな。そうして今、大学4年の途中で東京を離れて地元に戻ることが決まった。地元にいた頃は部活しかしてこなかったし、その時の友達もみんなその頃のわたししか知らない。言ってしまえば家族もそこで止まっていると思う。正直のところとてつもなく不安である。ふるさとである地元に戻ることがとっても不安だ。東京へ出てきてから何度も帰省をして「地元はいいな〜」なんて思ったけど、それは東京に拠点があって戻れる場所があるという前提での一時的な行為だったからだと思う。いま、東京にいた自分から離れて自分が生まれた場所に戻って新しい生活が始まろうとしている。

 

人格形成は一生続く。その基礎は地元でできたとは言え、東京で、環境やたくさんの人に揉まれてなんとか踏ん張って”今のわたし”ができた。それを断言できるくらいには東京で成長してきた。東京に生きるわたしがいる。それと一旦別れを告げなければいけない。

 

仲の良い友人もほとんどみな東京近郊に暮らしている。辛い時に支えてくれた人も楽しい時間を過ごした人も、新しい経験ができた場所も知らない自分に出会った場所も何もかもが東京にある。“今のわたし”が生まれた場所は東京だと言っても過言ではない。そんな第二の故郷(くさいけれど)と言える場所が東京だ。

 

大学生活(と言えるのかな)はパソコンと向き合いながら地元で続く。この先の進路も地元でできることを考えている。就職も都内に戻る予定はない。この先に東京に住むというかたちで戻る予定は全くない。高校から地元を離れ、留学も経験して、心の距離と物質的距離は比例することをわたしは知っている。ひしひしと肌に感じてきた。だからこんなにわたしの心に大きくある思い出やたくさんの人たちと離れてしまって、もう二度といまの距離感でいられなくなるのはとても悲しくて寂しい。仲良い人は会いに行ったり来てくれたりするだろう(そうしようね!)。でも日常の先にあって、いきなり決まる「お茶しよう」だったり「公園行こう」だったり「飲みに行こう」という誘い文句がもうなくなるんだなといやで思ってしまう、気づいてしまっている。これからは、「特別な予定」として互いに会う約束をするようになる。それだって楽しいんだろうけれどなんだかむずかゆいなあと思う。

 

「情は1番厄介な感情」ということを痛いほど知っている。だから今回も「地元帰ることになっちゃった〜」なんてヘラヘラと言っているけど内心はちょ〜複雑だ。東京に情なんて抱くものかと思っていたけどこれがめんどくさくなるほどしっかり抱いてしまっている。非常に厄介。それに、コロナのおかげでわたしの東京フェアウェルパーティーができない。大宴会を催して、会いたい人に全員会ってどんちゃん騒ぎをしてから東京を去りたい気持ちだった。何よりもそれが悔しい。コロナのことは一生かけて恨みたい。彼らは人間を滅ぼしたくてやってるわけじゃなくっても、なんて。

 

そうは言っても、この(ファッキン)コロナのおかげで地元に戻るという思いもしなかった選択が生まれた。地元に戻ってもまた新しい楽しいことがたくさんあるはずだ。新しい出会いだってあるはず。今は東京で7年育んだ素敵な思い出達と素敵な人たちをほかほかと思い起こしながら気持ちを整理していこうと思う。

 

いつだって変化は劇的だ。その変化をどれだけ楽しめるかがこれからとっても大切になると思う。これだけ東京を離れることを寂しく思っているけれど、地元に戻ることはもちろん楽しみだ。家族のもとに戻る、拠点をそこに移す。一時的でなく継続的にそこで生活をすることなんて8年ぶりなんだから楽しみは間違いなくある。

 

またわたしの新しい生活が始まる。新しいことはいつでもワクワクとドキドキと不安はつきもの。だから、大きな声で東京に「またね」と地元に「ただいま」を言いたい。