13 Apr☺ lazy diary 11

 hi guys

 

 久しぶりの日記。

 書いていない間に私は帰国をして一か月以上が経ってしまった。どうにもこの日記は習慣化することはできなかった。

 

 あっという間に時間が過ぎている。ロンドンで過ごした時間が全部が思い出になってきている。こんなことしたね、と笑い合える時間は一瞬で、あんなことあったなという記憶になってしまうのは何度やっても少し悲しい気持になる。けれどそれを受け入れていけるようになるのが大人になるってことだろうなと最近気が付いた。なので受け入れることにする。経験のひとつ、固執はよくない。たまにするけど。

 

 友人の多くは大学を卒業して就職するなりまた新しい生活が始まったようだ。しかし、コロナがそれを円満には進ませない。新社会人の多くは出鼻から在宅での研修、新生活にはなんとも苦い始まりだ。春一番の楽しみである花見もできなければ友達と会う事さえできない。幸運なことに私はそのくらいしか影響は受けてない。いま本当に大変なことになっているけど今回は私の半径1メートルの話をしたい。

 

 楽しみだった大学の復学も1か月遅れの始業が決まり、今は実家でのんびりと生活している。友達と連絡を取ったり、ギターを練習したり、犬と散歩したり、花や木の様子をみたり、本を読んだり意外とやることはある。とポジティブにやれている。どうやら私にはニートの素質があるようだ。それほど退屈になることはない。出不精がこんな時に吉と出るとは。

 

 本を読むことを蓄えだと考えていた。読む本全てを糧にしていかなければいけないと。私は遅読で、注意散漫。お世辞にも読書向きの人ではない。それに選ぶ本も有名どころや読んでおいた方がいいよなあというものばかり。しかし最近気軽に本を読めるようになってきた。

 今となっては一か月前くらいになるだろうか、友人と古本屋に行った。プレ花見をしようと誘ったことが始まりだが、彼は最初から吉祥寺で古本屋巡りをしようと思っていたようだ。そこでそれにお供する形で合流した。ブックオフくらいしか古本屋は行ったことがなかったので個営の古本屋とはなんぞやという思いのまま向かった。結果、かなり楽しかった。新書を扱う本屋では特別にその分野に向かわないと出会えないであろう本と古本屋ではポンポン巡り会う、とても面白い。本来、目的の本がないと本屋すら行くことがないので、行き当たりばったりで本を見るのがなかなか新鮮だった。その日わたしは気になった本を2冊買った。

 それまで2冊以上の本を同時に読み進めることをしたことがなかったのでわたしの本棚には積ん読と呼ばれる出番を待っている本がたくさんある。しかし、彼との会話の中で同時に読んでもいいのかと気が付いた。別にへらへら読んでもいいのかと。何に対しても情みたいなものが湧いてしまい真摯に向き合わなくては!と思いがちだったが気楽に構えてもいいのかと思った。真摯というか律儀にというか。

 それから、買った本を優先的に読むこともなく、家にあった気になる本を手に取ったりその日その日で本を選びパラパラと読んでいる。天気がいい日には庭に出て読んでみたり、ひとり公園に行って散歩をした後にベンチに座り本を読む時間を設けてみたり。いろんな場所で本を読んでみている。本に没頭するという時間を久しく忘れていたけれど、やはり楽しいものだ。たくさん読書をすることに越したことはないけれど、なにも読んでないからと負い目を負う必要もない。と思いたい。そうはいっても、書くことが好きなので自分の書く文字が上澄みにならないようにも本は読めるだけ読んでいたいと思う。

 

 と、読書も合間をぬってどころか贅沢にできている。この一か月の自由な時間を無駄にはしないぞと思わずにのんびりできている。直感的にそれでいいかなと思っているのでそうしている。だらだらできるうちにだらだらしておきたい。いつか忙しくなるんだから。(今までもずっとそうしてきて忙しくなったことはまだない。ただの怠惰が続いているだけかもしれない。)

 

家でできることがまだたくさんありそうだ。部屋の片づけはまだ終わってない。一か月半ずっと部屋の片づけをしている(ことになっている)。そのうち甘いものを焼いたりしたいなとか料理をしようかなとか考えている。いろんなことを考えてはいる。実行できるかは別として。そうは言っても友達には会いたい、遊びにも行きたい。ぜんぶが穏やかになることを願って家で待つばかり。父が帰ってきたのでもう終わり。またすぐ書けたらいいな。

🍜 (番外編)

 

 日本はもう22日の水曜日、仲良しの博多の兄ちゃんがまたひとつ歳を重ねたようだ。何歳かは知らん。彼とはラーメン屋のバイト先で出会った。若いくせに店長でずっと年上の癖の強い社員と一緒に働いていた。バイトのメンバーもかなり癖が強かった。教授こと坂本龍〇に師事して日本のダブステップ界をけん引しているむちゃくちゃにいかつい人、名門興南高校の野球部出身でモデル志望のでかい人、モデル志望からフ〇インボーイズの専属になった人、漫画家志望の人、劇団員だか役者志望の人、もちろん普通に大学生もいた。私はその普通枠の一人だった。

 初めてのバイトだったがかなり楽しかった。覚えるまではちんぷんかんぷで恥ずかしくて大変だったが慣れてしまえばなんのその。混み合う時間もわかってくると力の抜き方も覚える。うまいことサボって楽しくやれていた。

 

 バイトが12時近くの締めまで入っていると店長やバイトのみんなと近くの飲み屋に飲みに行った。適当に帰れる日もあれば、朝まで飲む日もあった。3時、4時にお開きになると、みんなで働き先のラーメン屋に忍び込んで、麺を茹で、スープを炊き直しラーメンを食べた。あの時に食べたラーメンが何よりもうまかった。今でもたまに思い出す。

 働いた後の酒のうまさ、酒を飲んだ後のラーメンのうまさ、みんなで悪いことしてるときの楽しさをそこで学んだ。当時はそわそわしたらダサいぞと平静を装っていたが、それまでくそ真面目に生活していた私にとってすべて新鮮で、ワクワクしていた。

 仕事中や飲み会では大学での話や将来のこと、恋愛の話、いろんな話をした。私が恋に破れた日もバイト後に店長とバイトの人が飲みに連れて行ってくれた。へらへら慰めてくれたりバカを言い合ったりした。とにかく私にとっていい兄ちゃんたちがいっぱいいた。間違いなく兄ちゃんだった。

 

 ある日、店長が芸人を目指すからと社員をやめる話を聞いた。私はとっても興奮した。芸人を目指すってそんな格好いいことあるか!ここは東京だし何万と芸人志望はいるだろうけれど出会ったことは一度もなかった。しかし、格好いいなんて面向かって言うわけないので、彼がボケるたびにM1一回戦負けよ、といじっていた。

 そのラーメン屋には先述した通り夢を追っている人がたくさんいた。私もその一人で、当時はどうにか音楽を…と思っていた。周りにそういう人がいるとやるぞという気持ちにもなる。モデル志望でオーディションを受けていた人がメンズファッション雑誌の専属になったのを目の当たりにしたり、教授に憧れて始めた鍵盤で最終的にバックで弾かせてもらえるようになったという話も直接聞いた。大きな一歩を進めたり、実際に叶えたりしている人もいて自分もなんか夢を追うことできちゃうのかもと思っていた。

 しかし、店長がやめる前にそのラーメン屋はつぶれてしまった。当時働いていたみんなはちりじりになってしまい今はもう何をしているのかわからない。ただ店長とだけは連絡を取り合えていた。彼はしばらく芸人として地元の幼馴染とコンビを組んで東京で活動したのちそのコンビを解散(本当にM1一回戦負けをしたらしい、出場に感動してしまいあまりいじれず)。また違う地元の幼馴染とコンビを組むも解散。私は結局彼の笑いを見れずに終わってしまった。そして、店長は地元の福岡に帰ることになった。

 

 帰る前に飲もうやと話していたが連絡は一切なくもうすぐ帰るとなったので当てつけのように帰れやと言ったらやっと誘いをくれた。東京にいる地元の友達と飲むという大事(そう)な会に混ぜてもらった。ぶっちゃけ肩身はかなり狭かったが酒を飲めば持ち前の図々しさで楽しめるものだ。

 そして、その日、向かった店は浅草にある「捕鯨舩」だった。たけしが歌った「煮込みしかないくじら屋で」のくじら屋である。さすがにしびれた。最後まで格好良かった。お笑いをやめて地元に戻る最後の飲み屋にその店を選ぶ。そんな粋なことするのか、と。笑い引きずりまくってんのか、けじめなのかわかんねーよ!ともなったけど。

 彼らの会話も懐かしい話をしつつも私も参加させてくれてかなり愛を感じた。本当にむちゃくちゃ楽しかった。九州男児最高!ほんで好きなだけ飲んで食べた。全員最寄りが同じだったのでそこへ帰り、二軒目はたまに行っていた飲み屋へ行った。また好きなだけ飲んで食べて、少し寂しくなって、解散になった。結局働いた期間も一年足らず、知り合ったのも二年もない。だけど大学生が始まってから大学以外の思い出がほぼすべてそこにあった。近場で飲んだり、花見するぞと夜に公園で鍋を無茶にしたり、特別出かけたりはせずに近所同士なりの遊び方をした。思い出せる思い出がたくさんある。へらへらしているがどこまでも男前で頼りがいがあり兄ちゃんとどっこいぐらいには兄ちゃんだった。だから本当に寂しかった。

 

 それから2年がたつ。もうそんなに寂しくない。違う生活にも慣れた。また博多でも東京でもどこでもいいのでいつか会えるといいなと思う。まあいつか会うでしょう。

 それまで負けんなよ!とりあえず今年はいい一年にしろよ!

 

追記:店長が捨てた二人がコンビを組んでM1三回戦まで行っていてむちゃくちゃに笑った。

17 Jan☺ lazy diary 10

 

 風邪っぴき(何度目)で今週は布団にいる時間の方が多く自己嫌悪に陥っていた。週のおさめ、金曜日の今日はなんとか重たい体を持ち上げて家を出ることができた。部屋にいても寝ているか、脳だけを閉じて液晶画面を開くだけ。体は休めても目はいつの間にか疲れているし、同じ風景を見続けていると心も働かなくなる。学校へ行く気力はなかったがあのお気に入りのカフェに行く気持ちにはなれた。薬も切れてしまったのでそれを買いに行くというまっとうな理由もあった。

 私の自己嫌悪パターンは100自分が悪いので人に慰めてもらっても仕方ない。しかし、今日は恋人が出かけたらと背中を押してくれたので家を出られた。いつも優しい。甘えすぎないでいたいが難しい。もう22歳なんだから自分で切り替えろよという声が聞こえてきそうだが、俺はこういう人間だという某大きなダディの言葉を思い出す。スイッチを押してもらってそこからは自分との駆け引き。どこまで甘やかすのかどこから厳しくするのか。

 

  バスを乗り継いでカフェについた。12時過ぎに行くのは初めてだったので大盛況ぶりに驚いた。残った席は2,3席しかなく、その席へ吸い込まれるように座る。毎度座る席がまた空いていた。今回は長テーブルのみんなでシェアする少し低いところへ座ろうと思っていたのだが、どうやらここが私の指定席のようだ。ブランチメニューからビーガンカレーを選んで飲み物には大好きなチャイラテを頼んだ。少し待つ間に詩のネタ帳を開く。こっちへ来てから一冊分書き終わり、二冊目も半分を越えようとしている。去年と比べると二倍ぐらいのペースで書いている。デキは別として…。

 

 チャイに続いてカレーが届く。甘さ控えめなチャイはコクが足りず少し物足りなかった。前回食べたビーガンパイが忘れられなかったので今回も食べようと意気込んでいたのだが、残念なことに今日は作っていないらしくカレーにした。しかしこれまたとってもおいしかった。ここのビーガンメニューは本当においしい。野菜だけであれだけうまみが出るのか。

 

 食事を終えてネタ帳とパソコンを開く。3月中に新しい詩集を出そうと企んでいる。私のことなのでやるやる詐欺で5月まで伸びそうだが…。今は、構想を練っている段階。タイトルや内容、装丁などなど、今回は前回よりもこだわりを込めたい。詩は50編程度、私の描いた絵やロンドンで撮影した写真なども載せる。他にも表紙はカラーにしたい、サイズは前回と同じ大きさにしたいなど大体のモノは見えている。タイトルも2つに絞れた。

 そして、ネタ帳からふんふんと悩みながら載せたい詩を選んでいく。二冊目のネタ帳からは今のところ15編が選ばれた!ロンドンへ来て新しく考えるようになったことがたくさんあるけれど根本の私は変わっていないので前回の詩集と似たようになりそうで怖い。前回はこれが福田花ですという紹介のような詩集だったので割と楽だった。ネタ帳にある詩をほぼ全部を載せた。今回、それからは少し離れたものにしたい。自分のことよりももっと開けたものにしたい。全部私から出てくる言葉だから難しそうではある。頭にいるものを手繰り寄せてるだけだしね。でも誰かになりきって書いてみるのも面白いかもなとも思う。書く前からコンセプトを立てて、それに沿って書くというのをしてみようかな。また違ったものが生まれそう。それはさておき、今日だけで第二詩集制作へ一歩も二歩も進むことができた。

 

 おいしいものを食べて好きなもの飲んで、ちゃんと自分を甘やかせたので今日のライブは諦めることにした。最近お熱なPVAというUKバンドのリリパの予約をしていた。17日の今日、彼女たちの初めてのアナログが発売された。ライブを2回ほど見たが完全に私のタイプの編成と音楽。最近の私はエレクトリックにめっぽう弱い。バイナルも予約してある。が、これから彼女たちのライブに行ったら完全に風邪をぶり返し来週も寝込むことになるだろう。もし、お天気も良くてもう少し暖かかったら行けたなとも思うが…。今日はなんだかいきなりめちゃくちゃ寒い。なんで今日に限って。そんなこともあり泣く泣くライブを諦めた。それでカフェをはしごして紅茶とカップケーキを頼んでまた自分を甘やかしてこれを書いている。アメ2:ムチ1でいる。風邪もひいてるしムチ2かな、、したらどっこいでいい感じだし。書き物していると気持ちも落ち着くといったことを前のブログでも書いたが、そんなわけでいいマインドになってきた。もう早く帰って薬飲んで寝たい。早く治したい。

 

 来週は本当に毎日学校に行きたい。行かなければならない。来週末に母と姉がロンドンへ来てくれるので彼女らに会う前にいい子に戻っておかないと。家族が来てくれるのはとっても嬉しい!とっても楽しみ。親元を離れた生活を長いことしているけれど丸一年近く会わないことは今までなかったので少しドキドキしている。どんな顔して会ったらいいんだろう。来週の今ごろは彼女たちに会っていることでしょう!とにかく今のうちに風邪をしっかり治しておきたい。

 学校の友達に「さんまは風邪も病気も全部気力で治すらしい、気持ちだよ」というなんの意味もないアドバイスをもらった。まったく信用ならないが一応は覚えておく。

 

 それから、あの時見た桜と思っていた木はやっぱり梅だった。花の付き方を見れば梅であることは歴然なのに。なんであの時、桜と思ったんだろう。

 

追記:またオイスターを落とした。

6 Jan☺ lazy diary 9

 

 学校が始まった。今までは憂鬱な長期休み終わりが、今回は違った。というのも大怠惰な生活を続けて習慣すらない生活を送っていたためそれからの脱却という意味でかなりポップだった。そして無事に7時起床予定から8時まで目覚ましと戦って8時20分に起きて半に家を出るという生活が始まった。頑張ろう早起き。

 

 ポップな休み明けとは裏腹に身近にも遠くにも、悲しい出来事が多くて胸が詰まる。やるせないことばかり。どうにか平和を作り出せないものなのか。人と人もそうなんだけど、自然に対しても。人が殺し合うのも寂しいけれど自然が死んでいくのはそれ以上に私は寂しい。気づかないうちに私も殺しているし無責任なことを言うなという話なんだけど、悲しいものは悲しい。いつからこんなこんがらがっているのだろう。昔からそうだったのか、私がただ気づいていなかっただけ?

 自然についての詩を書いているけれど迂闊に書けなくなりそうで怖い。芸術と思想は表裏一体であるし、思想には行動が伴わなくてはいけない。思っているだけでは本当に何も意味がないしね。などとうだうだクダをまいている。

 

 死んでしまうのが一番エコなんだろうなと思う。これ以上に何も排出しなくて済むから。でも火葬は結構いくだろうなとも考える。何が一番いいんだろうな。

 死んでしまうなんて口に出してしまったけど割と身近な人がまた最近も死んでしまって、知り合いが増えるというのはこういうのに出会う確率も増えるという事なんだなと実感している。誰の死も信じられない。そしてどういうタイミングか、誰かの死をまた違う誰かに伝えるという役回りを担うことが多い。この2年で3回もあった。人生で1,2回あれば多い方だと思っていたがもうそれは越えてしまった。あんなに滅入る事はない。できることならもうやりたくない。誰かの死を知ることもしたくない、というより誰も死んでほしくない。

 でも地球を思ったら全員死ななきゃなって思う。どうも自分勝手な考えだ。いつになったら人間はエゴを捨てられるのだろうね。私はいつ捨てられるんだろう。いつ平和になるんだろうね、これも私のエゴなんだろうけど。

1 Jan 2020! ☺ lazy diary 8

  2020!

 年が明けました。今年もぼちぼち更新していけたらいいな。

 

 年末、2019年の振り返り日記を書こうとしたけれど筆が上がらず(タイプの手が動かず?)年が明けてしまいました。

 あっという間に2020年だ~!あんなに先のことと思っていた20年がやってきた。私も22歳になったので今年は23歳になるのか…と思っている(それはそう)。

 年々、一年があっという間に過ぎていくという話は耳にタコができるほど聞いてきたけど本当にそれを感じている。2019年も過ぎてしまえば本当にあっという間。早かったなあ。留学生活もあと二か月足らずで終わってしまう。長かったけど早かった。

 

 この一年、やっぱり友達って大切だなとしみじみ感じた。ふと暇だな~と思った時に会える人がいるっていうのはとっても尊いことだね。こちらで友達ももちろんできたけど心のどこかで誘ってしまったら気を使わせるんじゃないかなと思ってしまってお誘いも難しかった。そのため一人で過ごす時間も例年より多く、怠惰に拍車がかかった気がする。

 英語の方はもう10か月近くいるのでそれなりに話せて理解できるようになった。重要なライティングの方はまだまだ。練習量もそうだろうけど一年ではたかが知れてるのかもなと。だから続けていきたいな。残りの二か月でもうちょい頑張りたい。英語版のミニ詩集を作って世話になった先生たちに渡せたらいいなと淡い目標もある(今たてた)。

 

 2019年は、今まで感じたことなかった自分がアジア人であるということをひしひしと感じた一年だった。どこへ行くにも誰と喋るにも私の容姿と英語のアクセントからアジア人というのがばれる。ばれるって言ったら悪いことみたいだけど、いいこともある場面もあるし、窮屈なこともたくさんあった。ほんでアジア人である自覚は持てたけど日本人という自覚は最後まで持つことができなかった。というのも自分の国のことをあまり知らないということから始まり、日本人という他国の人からのイメージと自分があまりにもかけ離れていたからだ。

 親日の人に本当によく会った。狭いコミュニティでしか動けなかったし、私の話を聞いてくれる人も一回私を受け入れてから話を聞いてくれているわけで多いのは当然なんだけど。特に語学学校で出会ういろんな国の人の日本のイメージはかなり良くてみんな日本に対して夢のようなものを抱いていた。私はかえって日本てこんな国だったのかと悲しい気持になる瞬間がたくさんあった。

 

 まず、容姿の話。こちらへ来て気づいたことが、街行く人を見ても流行みたいなものが全くわからなかったこと。よく見ていけば(特に若者)あるんだけど、基本的にはみんな自由な髪形や髪色をして好きに服を着ている。季節にとらわれず自分が快適で、着たいと思っている服を着ている、そんな印象だった。それも相まってか、美しい基準が全くみえなかった。日本に比べてダイバーシティなことも理由の一つには間違いなくある。みんな顔の雰囲気も違うし、肌の色、生まれ持った髪の質や色、体系も千差万別。美しいの基準が作れないから醜い人もわからない。全員こんなにも違って美しいんだと感動した。

 日本は開けてはきているものの、やっぱりずっと閉鎖的で異質をこれでもかと拒む。美しいものも基準が明確にあり、そこから外れる人は非難まではされないもののレールから外されてしまう。自信もこそがれてしまう。基準に沿った綺麗をみんな目指すためおんなじような人がたくさんいる。悪いとは言わない、と言いたいけどやっぱ変だよ!ちょう変!違くていいじゃんね。日本人ぽいね、とひとくくりにされてしまうのも頷ける。おんなじなんだもん。でも実際私にも美の基準のようなものは存在していた。

 私はレッテルみたいなものが本当に嫌いなのでなるべく派手に自分が着たいものをひたすら着て、したい髪形をして、好きなメイクをし続けた。そうしたらなんだかハナはハナだよねという印象を持たれるようになった。日本人のハナよりも坊主の子、あの服を着ている子、といったナショナリティ以外の部分で認知をしてもらえるようになった。これはとっても嬉しいことだった。ありがたいことに誰からも日本はいいイメージ(この日本の広告力はすごいなと思う(皮肉))を持ってもらっているので別に嫌な気持ちになることはかったけれど、自分としてはかなり窮屈だった。一人の人として向き合いたい。それのツールとしての英語はかなり強い。日本人だからと興味を持ってくれる人はいたけれどやっぱりうまくいかなかった。ハナを面白がってもらいたい。それってとっても難しいことだけどね。

 人間みんなうつくしいのよ。それをどう引き出すかが自分の技量なだけであって。本当に自分はブスだからとか太っているからとか痩せすぎだからとかそんなこと気にしてないでそんな自分の好きなところを見つけてそこを見せていけばいいだけ。みんなもっと自分のこと可愛がっていこうね(私はじぶんを可愛がりすぎてしっかり太った。そういうところもいいなと思う)。

 

 他には環境問題のこと。身近な話だと、プラスチック問題。最近では日本もスーパーのレジ袋の有料化がすすんでいるけどあれはお飾りにすぎない。なぜかというと、有料にしたとてそれを買う人はいるし買ったとて素材も弱く一回限りで捨てられてしまうためだ。こちらでは袋はもちろん有料であるし、その袋が頑丈なため何回でも再利用ができる。厚手のビニールで作られているためごみ袋にしてしまうにはもったいないし、破れもしにくいため買い物時にまた持っていくという選択がしやすい。これはかなり理にかなっているなと思った。有料化で購入者を減らすのはもちろん、よいものを売ることで再利用を促す、間違いなく消費量が減る。それにマイバック利用者が驚くほど多い。それもとても感動した。私も大好きなキャスキッドソンでかわいいのを購入して毎度使っている。みんな使ってるし私も使いたいなと思えた。

 他にもお弁当のような総菜のトレイに紙容器がよく使われていた。それを見てから日本のスーパーを思ったら80パーセントの物がプラスチックで包まれているんではないかと気が付いた。ロンドンでもプラスチックのトレイが使われているが、それなりに目立つところにリサイクルができる旨が書かれている。できないもののもちろんあるけれど少ない気がする。コンビニでお弁当を買ったときのトレイをリサイクルに回したことはない。気にも留めなかったし、気づきもしていなかった。

 学校やホームステイ先、ニュースや新聞でも環境問題について扱われることが多く、多くの人がきちんと自分のこととして考えている。実際に過去のことでも未来のことでもなく、今現在の自分たちの問題なのだから考えなければいけないことなのだ。誰かの不倫よりずっと大事なのだ。なんでこんな身近で大きな問題をひとつも考えてこなかったんだろうと自分自身にがっかりした。そしてこの環境問題がどこか他人事な日本に腹が立った。でもこれに気づけたことはこの留学でかなり大きかったと思う。能動的にいろんなことを調べて知っていくことはとっても大事だし必要だが、環境問題は受動的に入ってくる情報としてもっとあっていいなと思った。大きな問題として身近にあり続ければならないと思う。

 

 他にも政治や経済やいろんなことも思ったけどこんなに喋れるほどはわからん。とにかく外から日本を見るチャンスがあったため客観的に日本を見ることができてどれだけ日本が窮屈で遅れているということがわかった。いろんな行動を起こして良い方向に向けられるように頑張りたい。同じような世代で良くなるように動いていきたいし、行動を起こせば変えられるんじゃないかとも思えている。

 結局、日本は私の生まれ育った国であることは間違いないのでふるさとは無下にはできない。

 

なんだか真面目に長々と書いてしまったが2019に新しい場所に来て新しい気持ちや新しいことをたくさん知った。今年も好奇心を絶やさずにいろんな見分を広めて、たまに自分のこともしっかり考えて豊かになっていけたらいいなと思う。

 

次はへらへら書くかんね。今年もどうぞよろしく!

26 Dec☺ lazy diary 7

Happy Boxing Day!

 

今日のロンドンはクリスマスの次の日、Boxing dayというどこのお店でもセールをするというお買い物の日。いろんな店が50パーセント以上の値引きをするとってもハッピーな日。

しかし私は風邪をこじらせ、天気も悪いためおうちにこもってお料理をしたりお茶を飲んだりと静かな時間を過ごしている。

 

24日は日本にいる恋人とテレビ電話越しにクリスマスパーティーをした。21世紀に生きていてよかった~と思ったね。せっかく立派なオーブンがある家のなので丸鶏を買ってローストチキンを作ろうと。仕込んでしまえばオーブンに放り投げるだけなので特に難しいこともなく、ただただ時間との勝負。出来上がりもほっこりしっとりのチキンが焼けておいしく食べることができた。少しいいウイスキーを買ってそれと一緒に飲み食べした、かなり幸せだった。恋人とは準備の段階からお互いの所作を実況中継したので気分的には一緒に準備して、食事をして、お酒をたしなんで、お喋りして…とデートのような時間を過ごせた。遠距離恋愛をしているみんなはやるべきだと思ったわ。友達とのリアルな時間ももちろん大事だけどこういう時間もあったらいいよねと思った。

 

25日、ロンドンはお店が全店お休み。交通機関もすべてストップなのでおでかけもできない。なので家とその周辺でできることをする感じ。本来は家族と過ごす日なので街も穏やかでいつもよりずっと静か。私はチキンの骨を水で5時間くらい炊いてスープをこしらえてうまいうどんを作った。それから近くのアレキサンドラパレスという丘に行ってロンドンの風景を楽しんだ。天気がすこぶる良くてすがすがしかった。しかしすれ違う人は全員家族連れ。坊主のアジア人が一人でとぼとぼ歩く姿は少し物悲しいものがあった。でもタイミング良く親友が連絡をくれたので電話をしながら散歩ができた。しょうもないことから悶々としていることまでいろんな話をして日本に戻っているような気持ちになった。しかしそうは言っても面と向かって酒を介すなどして話すよりは気持ちもふわっとしてしまうので早く帰りたいな~と思ったりした。帰って猫に餌をやるなどして、夜には余ったチキンと少しの野菜とお米とにんにくでガーリックライスを作った。天才的においしくて一生食べていたいなと思った(チキン抜きで)(チキンにすでに飽きはじめてる)。

 

そして今日は26日。雨のいつも通りのロンドン。朝から体調が良くなくて、アビーロードショップでお買い物の予定もなしにしておうちに引きこもっていた。昼頃に起きて、今日は余ったチキン(再)と余ったごはんとすこしの野菜と牛乳でミルクリゾットを作った。これもまたうまくて天才かもしれんと思った。ふと思い出したように幼馴染の親友に連絡を取ったら彼女も暇をしていたという事で電話をした。彼女は二月の終わりにこっちに来てくれるので、二人でヨーロッパ旅行をする。それもとっても楽しみ。滅多に電話をしないので彼女に恋人ができていた(しかも8月に)ことも知らなかったし他にも知らないことがたくさんあってとっても話が弾んだ。彼女は何もかも正反対な人間

だけどなんだかんだお互いのことをよくわかっているし信頼している。そんな友達出来るのはすごいことだよなあ、、なんて。それはいいとして今日もだらだら過ごすことができた。

 

昨日、映画を見たくてネットフリックス警察をしたのだけど見つからず、、面白くて難しすぎなくて軽い気持ちで見れるものを探していた。そうなると絶対たどり着いてしまう映画がある。それは、「シュレック」。あんなにこの気持ちにピッタリ当てはまる映画はない。まず英語のまま見るのも良し、日本語字幕で見るのも良し、しかし何よりも日本語バージョンで見るのが面白い。今回は、日本語バージョンで英語字幕をつけて見た。シュレックが浜田の関西弁を話しているところから面白い。キャメロンディアスの声のところに藤原紀香があてられているのも良い。エディーマーフィーのドンキーはやっっぱり山ちゃんだ。英語字幕を見ているとこんなボケは本来はこうだったのか、、と気づくこともできて良かった。それに映像の質感が何より好きだ。一個目のシュレックに関しては20年近く前に作られたにもかかわらず絶妙なぬめりがあり気持ち悪さが丁度よい。2も3も10年前の作品だった。よい作品は廃れないとはこういうことか、、、ちなみに1-3はもう何度見たか覚えていないくらいに見た。しかし毎回新鮮な気持ちで見ることができる。なぜなら頭を使っていないからだ。全部忘れてもう一回初めから見ることができる。もっともっとみんなに見てほしい。3まできちんと面白い。もっと金曜ロードショーでやってほしい。友達とげらげら笑いながら見たいのだ。一人で見るのももちろん楽しいがみんなでワイワイ見ればもっと楽しいだろう。昨夜は3を見ながら寝落ちしてしまったのでこれからまた見る予定。

 

年末、暇を持て余している人がいたらシュレックの鑑賞をお勧めするよ。

それでは見てきます。

追記:シュレック4までありました、、、見ました。

追追記(12/27):2022年にシュレック5やるそうです、、

 

3 Dec☺ lazy diary 6

lazy diaryのことを覚えている人はいるのだろうか。意気揚々と始めた全編英語の日記チャレンジだったけど怠惰がすぎて幻のようになってしまった。

 

アララで一つ書かせてもらったのをきっかけにやっぱり物書きは好きだなと思った。また何か書いていこうと思う。が、主に日本語がいい。日本語は楽しい。言葉を自由に操れるのは気分がいい。英語を自由に操れるようになれよという話だが。

note.com

 

何はともあれlazy diaryを再開するわ。

 

今の私は絶賛スランプ中。会話をはじめ、書くこと、コミュニケーション、英語を軸として行うすべてに自信がなくやけになっている。うまかったわけでもないのでスランプとは言えないかもしれないけど。英語の学習は波があるとよく聞く。成長、停滞の繰り返し。少しできるようになると、できないことが何なのか気が付き自分の不出来に凹む。ここでやめない人が成長できるとのことだけど、私はその停滞が長すぎて完全に自信喪失をしている。

 

夏から私はどのくらい成長したのかはっきり言ってわからない。というのも、会話をしても基本聞き役で話す回数が圧倒的に少ない。それに相手には申し訳ないが興味のあるトピックがあまりないので聞いてないこともしばしば。適当な相槌をうって時間をやり過ごしている。幸運なことに私は表情筋がまあまあ豊かなので言葉を発せずともリアクションができる。まあ良くはない。幸運ではない。相槌(言葉)のレパートリーが増えない。

自分から話したい話題もあまりない。出かけるのも、何をするのも基本的に一人でしてしまうので誰かを誘いどこかに行くこと自体も少ない。週に3日以上だれかと出かけたり何かをするとどっと疲れてしまう。自称気ぃ使いだ。しかし、この流れだとただの自己中心的な人間でしかない。たぶんそっちだ。人と合わせることができていない。シャイではないし、コミュニケーション能力もある方と思っているけどその後が続かないことがかなり多い。私と出かけてリピってくれる人は悲しいことに少ない。完全に私のせいなのだ。頑張りたい。

 

好きなカフェがある。そもそもカフェなどに足繁く通うこともなかったのでそこにも3回ほどしか行ったことがないが、とっても好きだ。ロンドンの公園たちの次くらいには好きだ。緑の多い店内に、木のテーブルと椅子が並ぶ。それらの高さはばらばら、家具たちはちょうどよいランダム感で並んでいる。明かりは暗めだがカジュアルな雰囲気がアウェーな気持ちを薄めてくれる。チェーンではないその店ではお料理も独自のもの。手作りのケーキやパンが並ぶガラスのショーケース、メニューにはブランチとランチありとのこと。軽めの朝ごはんとお昼を食べたことがあるが、値段も味も満足だった。ベジタリアンやビーガンメニューもあり、人を誘うにも選ばずに誘えそう(誘ったことはない)。飲み物は一般的なカフェと同じ。それに加えてオレンジなどのしぼりたて生ジュースみたいのがある。

そのカフェは2か月前まで住んでいたフラットの徒歩3分ほどのところにあったために知った。今日久しぶりに行ってきてやっぱり好きだなあと幼馴染に感じるものを抱いてきた。新しい場所というのはいつも緊張する。しかし、一度行ってしまうと変な自信と安心を持つようになる。そこも初めての時はおしゃ空間だ…とおどおどしていた。今住んでいる場所からそこへはバスで30分と徒歩で10分強くらい。徒歩の時間がかなり良かった。たった3か月ほどしか住んでいなかったフラットのその周辺だが、懐かしさすら覚えた。あの時はまだ夏で、夏と言えど大して暑くなくて心地よかった。今日はマフラーをしても寒くて、時間の経過を感じた。家の向いのパブには結局行けなかったし、このカフェだって二回しか行かなかった。近くの公園もすごく好きだったけど数回しか行けてない、大きな思い出があるわけではないけれどなんだかすごく安心した。お姉さんにブラックコーヒーとケーキを頼んだ。そしてコーヒーとビーガンのパイが来た。なぜだ。まあおいしそうだったので食べた。おいしかったから良かった。書き物をしたりまったりと過ごした。確か、前来た時も書き物をした。その時もすごくはかどってかなり気分が良かった。そういえば同じ席に座っていたかも。なんだかずっと心がせわしなく、もやもやしていたけどちょっと懐かしい場所に戻ってゆっくり書き物をしてほっとした。なんでもいいから書くのはいいな~。

 

カフェを後にしてバス停までまた10分のお散歩。そういえば、と向かっていた時に見つけた桜の木を探した。12月のこの時期に木に白い花がポンポンとついていたのだ。木の幹が桜の木のそれだった。花びらは白から薄ピンク、内側の方が濃いピンクでサイズは普通の桜より小ぶりだがすごく似ていた。寒桜かなと思った。それにしても早いけど。写真を撮ったけどSEクオリティのため全く分からず。

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春の頃にはロンドンでも桜をよく見かけた。3週間ほど前、ロイヤルファミリーがどこかの公園に日本との友好の証だかなんだかで桜を植樹したというニュースを見た。桜が好きなブリティッシュにもよく出会う。こちらでも結構一般的な花なのかもしれない。私も桜は好きだ。無条件に嬉しくなってしまう。花自体がとっても好きなのもあるけど。昔、友達が「桜はもてはやされすぎだ。」とこぼしていた。下北沢から経堂の私の家に歩いて帰る途中に彼女と羽根木公園を通った。「ここ、すごいんだよ。私のお気に入り。」とそこを通ろうと提案したのだ。ほぼ満開の夜桜が街頭に照らされていて彼女が「悪くないかも。」と言っていて嬉しくなった。確か、そんなことがあった。その彼女はあと二週間でロンドンへやってくる!とっても楽しみ。

 

それまでの二週間は自分を鼓舞して学校へ行って、友達と喋れるだけ喋って、体調を崩さず、気持ちを整え…しっかりしたいところはたくさんあるけど、楽しい気持で毎日過ごすぞ~