東京と友達3

 

 運動も好きだったけど今となってはそれ以上に好きなものが音楽だ。学ぶことを続けるならそういうことを学びたかった。進学を決めたのは大学案内で「卒業しても就職しない人もたくさんいます。音楽とか演劇をやったり。」というわたしにとって1番の誘い文句を聞いたからだった。進学先の大学はいわゆるFランと呼ばれる偏差値の高くない大学だった。けれど資料で見た講義には魅力的なものばかり、わたしの興味が詰まっていた。そもそもわたしは「テストでいい点を取る」というような勉強がてんでダメだったのでその大学は言ってしまえば都合がよかった。都合がよいというのは語弊がありそうだけど。

 


 就職という言葉にずっと抵抗があり、大学を出たらそれなりの職につかなければいけないという固定概念があったため進学に否定的だったが、ある教授が口にした先の言葉でわたしはそこへ進学を決めた。誰だったか忘れたけど。本来大学というのは「さらなる学び」を得るために行く場所であり、就職という社会に出る一手段でに使うものではない。それにずっと気がつけずにいたがその時にハッとできた。

 


 適当に分けられたクラスで、ある子と友達になり、彼女の高校からの友人だという子を紹介してもらった。それがマヤ。今となっては都会暮らしの最後の拠点で彼女と2人で住んでいる。2人は他のもう1人と3人組でバンドをやっているらしく、友人にバンドをやっている人なんていなかったわたしは音源を聞かずともかっけーな〜と思っていた。

 


 あ〜この教授はとってもいいな〜と思える人の授業を取っていた。同じ授業を取っている金髪のボブの女の子がずっと気になっていたがなかなか声がかけられずにいた。何週かが過ぎたある日、彼女がペンを忘れたらしく斜め後ろに座っているわたしに声をかけてきた。わたしは赤ペンと鉛筆しか持っていたなかったので鉛筆を彼女に渡した。次週、逆にわたしがペンを忘れて「ごめんね〜」と彼女に借りた。それがほのかとの出会いである。

 


 この2人が大学でいちばんに影響を受けた大好きな2人。

 


 ほのかも同じく高校からバンドを組んでいた。そんな人が普通にいるのかと新たな世界に来たんだな〜とホカホカしていた。マヤとほのかと3人で会うことは最初は少なかったけれど各々と音楽は何が好きかとかこれがかっこいいというような話をしてどんどん仲を深めた。冬には3人で同じサークルに入って3人で過ごす時間も増えた。3人揃えばめっきり音楽の話。他にもみんなお洋服が好きだったのでお洋服の話。講義をサボって日向ぼっこして、わざわざお昼を外で食べて、サークルの部室でだらだら過ごす。みんなでご飯を食べに行ったり、お洋服を見に行ったり飲みにいったり。ありきたりな大学生活を過ごせていた。

 

 マヤのバンドのライブを初めて見た日のことが忘れられない。あんなにぽけっとした彼女がステージに立ってギターを背負い歌い始めると別人になるのだ。途端に輝き始めて知らない彼女がいた。初めて友人のライブを生で見て衝撃的で泣いてしまった。

 


 ほのかのバンドのライブを初めて見た日のことも鮮明に覚えている。マヤと一緒に行った。ほのかもマヤと同様で、ステージに立つと別人になった。いつもはほんわかしているけれど、ステージに立ちギターを背負って歌い始めると彼女は少年になっていた。ギターをかき鳴らし、裸足でぴょんぴょん跳ねて、ソロでは寝っ転がって弾いていた。それはパフォーマンスでもなんでもなく紛れもなくほのかという少年の自然な動きだった。この人はこんな風になれる場所があるんだ、と少し嫉妬した。

 


 わたしはずっと音楽を作る側になりたかった。だからそういうサークルにも入ったし、高いギターをローンを組んで買った。でもそんな2人と出会ってしまってわたしにはできないかもなと思った。2人はかっこよすぎた。やりたくって始めたんじゃなくていつの間にか始めていた。なんでか熱中したり長く続けられるものってやっぱりそういう始まりかたをするんだと思う。

 


 2人とは音楽や洋服の話の他にも、こんなことって面白いよねとかこれって不思議だよねという哲学のような話もした。2人の見えてる世界とわたしが見ている世界はやっぱり別物だし、2人の間でももちろん違いはある。だからその様々なものへの考え方の共有はわたしの考えをとっても豊かにした。それまでは何が好き何が嫌いとか表層にある他愛もない話をすることが多かったけれど、本来わたしはそういった不思議とか哲学の話が好きだった。哲学を哲学とも思わずみんなで話しているのも好きだった。彼女たちと話すにつれてわたしはもっとこうやって根本のことを考えていたいんだなと思えるようになっていった。

 


 詩を自ら作ってそれを受講生で考察していくという講義を3人で一緒に取った。そこで初めてきちんと詩を書いた。それまでは音楽をやりたかったこともあり漠然とありふれた言葉で歌詞っぽいものを書いていた。しかし、詩は別物で言葉選びを慎重に、説明しすぎずに伝えたいことを形にする。初めて書けたその詩はその講義の提出用に書いたけれど、それ以上に自分の頭の中にあるぼやんとしたものを形にできた初めての体験だった。自分で何度も読み返して素敵だなと思えた。教授にも2人にも褒めてもらえて嬉しかった。自分でそれを書けたことも嬉しかった。初めて自分が創りだしたものを他人に見てもらえて気持ちがよかった。やっぱりわたしは創作が好きでそれがしたかったんだと思えたし、こういう方向なのかもしれないと思えた瞬間だった。

 


 それからずっと詩を書き続けているし2人にもたまに読んでもらっている。2人もこんな曲ができたよと教えてくれる。なんだかやっと仲間に入れた気になった。かっこいい2人と創ることについて話せるようになってとっても嬉しかった。

 


 2人はバンドを続けてどんどん大きくなっている。2人のバンドはどちらもどんどんかっこよくなっている。何度も彼女たちのライブを見に行けている。どんどん大きな会場になり、今までよりも遠くて小さく見えるはずなのに、より大きく輝きを増していく彼女たちを見ることができてとっても嬉しい。知らない誰かが彼女たちの音楽を聴いて、ライブを見て、体を揺らす姿を見て胸がいっぱいになった。もっとたくさんの人に聞いてもらいたいし見てもらいたい。2人はステージに立つたびにわたしの知らないヒーローになってわたしは彼女たちのファンとしてそれを見ることができる。ステージを降りて目が合えばすぐにほのかとマヤに戻って笑い合える。とっても幸せなことだ。

 


 わたしはずっと詩を書き続けたい。書き続けることが1番幸せでいられると思う。2人が大きくなるたびにわたしもわたしのペースで自信を持って見せられるものを創りたいなと思う。そうしてまたわたしの作品を見てもらえたら嬉しいなと思う。かっこいい曲ができたらまた教えて欲しい。でもそこから離れたどうしようもない話やちょっと頭を使う自分の中の話もしたい。ゆっくり歳をとってだんだん変わっていくお互いを見ていたい。だからどうか2人とはずっと友達でいたい。親友でいてほしい。こんなにも大好きだから。

 


 彼女たちが近くにいなくともこういう気持ちを忘れないでいたいな。わたしはずっと創り続ける。もっと素敵なものを作るから楽しみにしていてほしい。そんな2人と出会えてとっても嬉しい。ありがとうという気持ちでいっぱい。

東京と友達2


 大学へ入り、大学のサークルだけでなく他大も入れるインカレに入ってわたしの交友関係はぐんと広がった。もともと人見知りもなくどんどん友達になれるほうだけど、きっかけがないとそれもなかなか発揮できない。このインカレへの加入はわたしにとってかなり大きなものだった。きっかけは高校の時の大好きな友達がたまたま知ったから。このたまたまもものすごいんだけど割愛する。内緒ね。付き添いとして見学に行ったその場所でわたしは大好きになる人と出会う。


 音楽関係の団体だったので「好きな音楽は?」という質問から話を膨らませていく。それで話がドンピシャに合ってお洋服も素敵で絶対仲良くなりたい〜!!!と思った人がいた。その人がアユ。このブログの主人公ね。1つ上で大人で大学の先輩だ〜!というような人だった。


 アプローチかない彼女とはとっても仲良くなった。いろんなライブハウスへ行ったり、お洋服を見に行ったり、お茶をしたり、飲みに行ったりとにかくたくさん遊んだ。朝までのイベントに行ったり終電逃したり夜を散歩したり。アユと過ごす時間がと〜っても楽しかった。数えきれない覚えられないほど思い出がある。もしあのインカレに入ってなかったらと思うと怖い。彼女に出会ってなかったらもっと寂しかったと思う。もちろんあのインカレ自体にも濃い思い出がたくさんある。音楽をたくさん知ったし音楽がもっと好きになった。あの場所にいたみんなが大好き。


 それでもなんだか彼女はわたしにとって、とっても特別だった。憧れちゃうような人と仲良くなれることってあまりない。素敵な刺激もらえる人はなかなかいない。彼女にはたくさん音楽を教えてもらったし、彼女といても大丈夫なようにおしゃれも頑張った。頑張ったというか彼女みたいに素敵になりたいからもっとお洋服が好きになったし髪型やお化粧も気にしようと思えた。もともとお洋服は好きだったけど彼女のおかげでだいぶ垢抜けられたと思う。その点は本当に感謝したい。ありがとうね〜。彼女といる時の自分も大好きだった。可愛くてでも飾ってなくて自然体だった。のびのび好きなものやことに好きと言えた。そういうのもあんまりないもんね。どんどんラブレターみたいな文章になっているけど、これはラブレターだからいいの。アユ、ラブだぜ。


 今は()、遠くになってしまって(ファッキンコロナもあり)、なかなか会えなくなってしまいとっても悲しい。でもそのうち必ず会うし、昨日も会ったみたいに話すし、笑うし、時間を過ごせる。そういうわたしたち。離れて暮らしていてもどこかで気にしているし、幸せだといいな〜って思ってる。いちばん幸せにしていてほしい。彼女とはずっとハタチくらいの気持ちのまま、ゆっくり歳を重ねて大人になっていきたいな。とにかく、大好きな人と出会えて仲良くなれて幸せだったな〜サンキューね東京。アユはこれからもよろしくね。ラブよ。

東京と友達

 東京に出てきてたくさんの友達ができたのは言わずもがなである。


 高校の時に4人組で仲良くしていた子たちがいる。部活も趣味も容姿もバラバラ。共通点はまるでない。「なんでそこが仲良いの?」なんて言われることもしばしば。私たちも「なんでだろうね〜」と毎回言っていた。


 振り返ると、幼少期に仲良かった子たちとどうして仲良くなったのかと考えたことはない。なぜか知り合ってなぜが気が合ってどうしてか時間を共にするほどその仲は深まる。そんな、「幼さが育める友情」を彼女たちと持てていた。強いて言えば、食べることがみんな大好きだった。高校生がゆえの「安くてうまいものの素晴らしさ」みたいなものを共有できていた。量が多いとなおさら良いねというのも。


 彼女たちと出会って8年がたったらしい。時間は恐ろしい。歳だけ重ねて中身は何ひとつ変わっていない。今回もサイゼリアでお昼を食べた。高3の文化祭の前の日に行ったのと同じサイゼ。好きな人と食べるごはんはなによりも美味しい。


 大きく変わったことは立場のあれこれ。保育士として3年目を迎える子、スポーツクラブのインストラクターとして2年目を迎える子、母になって大学生を続ける子(アルバイトもして大忙し)、わたしはただの学生のまま。面と向かって言うようなことじゃないけど彼女たちはずっと大人に見える。話しても、ちゃんとしてるな〜なんて思う(ちゃんとしてなかったのに)。一緒に大人になれているかなと心配になったりもするけど、何も変わってないんだなと安心できる瞬間もある。

 

 高校生の時も毎日一緒にいたわけでもないし頻繁に遊んだわけでもないけれど、彼女たちとの関係はいまだに続いている。あの時みたいにたまに遊んでああだこうだとその場限りの話をする。酒を交わさなくても何を話したかとかは全然覚えてない。でもそれがとっても心地いい。たまに会うから話は尽きないし愛想もつかないんだと思う。

 

 私たちはこれからもきっとこんな感じで変わらない距離感で友情が続いていくんだと思う。東京に来てはじめてできた理由のない友達。そういう人と出会えて良かったな〜と思った。すぐに会おうと約束はできないけれどたぶん年1くらいで適当に会うんだろうな。そうしたいな。ビッグサンクスだ。


東京とわたし

 

7年住んだ東京を離れることになった。実際に今住んでいるところは川崎だけど。

 

中学卒業と同時に夢と期待を胸に東京へ出てきた。部活を熱心にやっていたわたしはその関係で都内の高校に進学を望み、親をはじめ家族たちに背中を押してもらいこの決断をすることができた。

 

当時のわたしは、「高校から東京なんてかっけ〜」くらいの気持ちでそれほど大きな選択だとも思わずみんなが高校を決めて行くように地元を離れた。

今考えると当時のお母さんやお父さんはどれほど心配していたのだろうと思う。もし私が親の立場になって自分の子どもが14、5歳で離れて暮らすと決断したらむちゃくちゃ戸惑うと思う。もちろん応援はしたいし、彼または彼女の決断を大いに尊重したい。しかし、まだ14年しか一緒に住んでいないのに、と悲しくなると思う。そんなこと当時のわたしはつゆ知らず、思いもせずにワクワクだけを頼って東京へ向かった。

 

下宿生活や部活動の毎日の練習、苦しいことも辛いこともたくさんあった濃密な高校生活を送り、大学も都内に進学した。その時のわたしはもう地元に戻るという選択肢はなかった。大学も東京や神奈川か、京都や大阪に飛ぶかというありふれた都会に憧れる18歳だった。

 

運動部からきっぱり足を洗って、文学科ではあるけれど一種の芸術を学べる大学へ進学した。その時も家族は背中を押してくれた。9年も続けた部活をきっぱりとやめると言ったのに。その時もわたしは、この道じゃない、ここはわたしの居場所じゃないなとあっさりとやめる決意をしたのだが、これに関しても親からしたら「あれほど応援していたのにやめちゃうのか…」と思っただろう。

 

大学へ進学し、はじめの1年半は姉と共に暮らした。たくさん喧嘩もしたしたくさん楽しいこともあった。授業で友達ができたり、サークルでたくさんの出会いがあった。そもそも学ぶことがそれほど好きではなかったこともあり、大学進学は否定的だったが、親は大学進学を強く勧めてくれて今の大学に入ることができた。今は本当に大学に行けてよかったなあと思う。絶対に出会わなかったであろう人たちと出会って、夢のような時間をたくさん過ごすことができた。

 

地元を離れて、いわゆる上京をして、8年が経とうとしている。物心ついてからの人生の半分弱くらいを東京で過ごしている。それは言い過ぎかな。そうして今、大学4年の途中で東京を離れて地元に戻ることが決まった。地元にいた頃は部活しかしてこなかったし、その時の友達もみんなその頃のわたししか知らない。言ってしまえば家族もそこで止まっていると思う。正直のところとてつもなく不安である。ふるさとである地元に戻ることがとっても不安だ。東京へ出てきてから何度も帰省をして「地元はいいな〜」なんて思ったけど、それは東京に拠点があって戻れる場所があるという前提での一時的な行為だったからだと思う。いま、東京にいた自分から離れて自分が生まれた場所に戻って新しい生活が始まろうとしている。

 

人格形成は一生続く。その基礎は地元でできたとは言え、東京で、環境やたくさんの人に揉まれてなんとか踏ん張って”今のわたし”ができた。それを断言できるくらいには東京で成長してきた。東京に生きるわたしがいる。それと一旦別れを告げなければいけない。

 

仲の良い友人もほとんどみな東京近郊に暮らしている。辛い時に支えてくれた人も楽しい時間を過ごした人も、新しい経験ができた場所も知らない自分に出会った場所も何もかもが東京にある。“今のわたし”が生まれた場所は東京だと言っても過言ではない。そんな第二の故郷(くさいけれど)と言える場所が東京だ。

 

大学生活(と言えるのかな)はパソコンと向き合いながら地元で続く。この先の進路も地元でできることを考えている。就職も都内に戻る予定はない。この先に東京に住むというかたちで戻る予定は全くない。高校から地元を離れ、留学も経験して、心の距離と物質的距離は比例することをわたしは知っている。ひしひしと肌に感じてきた。だからこんなにわたしの心に大きくある思い出やたくさんの人たちと離れてしまって、もう二度といまの距離感でいられなくなるのはとても悲しくて寂しい。仲良い人は会いに行ったり来てくれたりするだろう(そうしようね!)。でも日常の先にあって、いきなり決まる「お茶しよう」だったり「公園行こう」だったり「飲みに行こう」という誘い文句がもうなくなるんだなといやで思ってしまう、気づいてしまっている。これからは、「特別な予定」として互いに会う約束をするようになる。それだって楽しいんだろうけれどなんだかむずかゆいなあと思う。

 

「情は1番厄介な感情」ということを痛いほど知っている。だから今回も「地元帰ることになっちゃった〜」なんてヘラヘラと言っているけど内心はちょ〜複雑だ。東京に情なんて抱くものかと思っていたけどこれがめんどくさくなるほどしっかり抱いてしまっている。非常に厄介。それに、コロナのおかげでわたしの東京フェアウェルパーティーができない。大宴会を催して、会いたい人に全員会ってどんちゃん騒ぎをしてから東京を去りたい気持ちだった。何よりもそれが悔しい。コロナのことは一生かけて恨みたい。彼らは人間を滅ぼしたくてやってるわけじゃなくっても、なんて。

 

そうは言っても、この(ファッキン)コロナのおかげで地元に戻るという思いもしなかった選択が生まれた。地元に戻ってもまた新しい楽しいことがたくさんあるはずだ。新しい出会いだってあるはず。今は東京で7年育んだ素敵な思い出達と素敵な人たちをほかほかと思い起こしながら気持ちを整理していこうと思う。

 

いつだって変化は劇的だ。その変化をどれだけ楽しめるかがこれからとっても大切になると思う。これだけ東京を離れることを寂しく思っているけれど、地元に戻ることはもちろん楽しみだ。家族のもとに戻る、拠点をそこに移す。一時的でなく継続的にそこで生活をすることなんて8年ぶりなんだから楽しみは間違いなくある。

 

またわたしの新しい生活が始まる。新しいことはいつでもワクワクとドキドキと不安はつきもの。だから、大きな声で東京に「またね」と地元に「ただいま」を言いたい。

23 July☺ lazy diary 14

 

 海の日が終わっていた。

 本来、夏と呼ばれる7月だが今年は一味も二味も違う。暑さの心配なんぞつゆ知らずみるみる日を追い勝手に下旬へと変わった。夏至はいつの間にか過ぎ、海開きもせずに海の日が終わった。

 高校生の私ならば7月23日、「いよいよだ」と明確に夏休みを意識し始め、浮足立っているだろう。しかし、大学生4年、23歳を目前に私は迫る課題ラッシュと卒論にビビっている。小学生のころからどうしても宿題がすぐに終わらせられなかった。なぜかはわからない…。夏休みの課題然り。そして、今の私も、課題にビビっているだけで何もしていない。

 

 暑くなりはじめ、セミの羽化を感じる7月。誕生月につき、誰かから何かをもらえるボーナスチャンスがあるかもしれない7月。夏休みに色めきだつ7月。私にとって7月は他の月よりもずっと特別だ。夏が好きだからというのも大きな理由の1つだ。

 わたしは夏が大好きだ。いちばん好きな食べ物にスイカをあげるほど好きだ。ツイッターネームを「夏子」にしていたほど好きだ。そうめんを食べるのを冬から待ちわびているほど好きだ。とにかく夏が大好きだ。冬には夏を思う。凍える両手を見ながらじりじりと日焼けをしていく自分を想像する。春にも夏を思う。だんだんとしばれる体がほどけていって、より暑い日をいつかいつかと想像する。秋にも夏を思うものだ。ふと涼しい風あびてまた1年後かと寂しくなる。

 

 しかし、今年は何もない。ファッキンコロナのおかげで外へ出て季節を楽しむ余裕もなければ、いつになったら梅雨明けするんだというような天気。おい、いいのか。7月終わるぞ。このまま8月に入るつもりか。8月は、お盆という一大イベントのあるでかい夏の祭り月だ。7月は言ってしまえば余興だ。こんなもんでいいのか7月。あと一週間ある。まだ巻き返せるぞ。こんな寂しい余興で8月がきてくださると思っているのかよ。多分くるんだけど、たぶん待ってりゃくるんだけど。だって8月楽しみだもん。こんなにさみ~7月嫌だもん。早く暑い夏を感じたいし。そのためにはやっぱり8月だし。8月って学生は丸1か月休みだし、会社員だって一週間とか休める場合あるし、アイドル的な存在だと思うのよ。みんな好きだと思うの。暑いの嫌でも、8月なかったらみんな嫌だと思うんだよね。だから8月はくるんだよ。アイドルは裏切らないもん(もし裏切られたというのなら、それはヲタクが理解していた”つもり”だっただけだ)。そこで、もう少しだけ7月に頑張ってもらいたい。どうにかしてほしい。夏の準備したいもん。今ね、6月でしたー!ドッキリ大成功ー!て言われても全然それを信じるもんね。7月よ。たのむから夏、みせてくれ。

 

 私の嫌いな言葉の中に「冷夏」がある。夏と見せかけて夏なんかじゃないんだそれは。違う名前をつけてくれよ。夏を語んな。とすら思う。しかし、友人は好きな言葉に「冷夏・暖冬」をあげる。情緒もない寂しい奴だ。夏は暑けりゃ暑いほどいいし、冬はまあ適度に寒い方がいいんだよ。今年は冷夏かもしれないという噂を耳にした。お天気予報見ないからあれなんだけど、もうそういう予想とかって出てるのかな。

 海にも思い切り入れない、山にも思い切り登れない、どこかでいろんなことを心配して生活する。「家に居ること」がこの夏のアツい過ごし方にならないことを祈るばかり。(と言いつつ、1万5千円分の家で読むものをアマゾで買った。)

 

 いよいよ、夏を始めたい。扇風機をつけてもぬるい風しかこないあの憎めない夏に会いたい。もう待てない。だって大好きなんだもん。

 だからとりあえずは「おれの夏」をはじめます。

22 May☺ lazy diary 13

 

部屋にこもり、大学の授業をオンラインで受ける。復学に希望を抱いていた者としてかなりさびしいスタートになった。

 

登下校がない分、遅刻という心配もしなくてよいし対面式の授業でない限りいつどこで講義を聞いたり資料を読んだりしてもいいわけで、「余裕っしょ!」という気持ちで4年生(5年生?)初日を迎えた。しかし、持ち前の怠惰はこれに便乗する。授業時間の前から資料等が配信されたとて関係はなく、提出物の期限を確認してから今やるのかと考える始末……。案の定、提出物がたまりかなり嫌な気持ちになっていたのでこれを書いている。

 

もちろん面白い授業もある。Zoomを使用する授業がいくつかあるが、オンラインでも質問や発言に臆することなくできるタイプの人間だったので、そういった授業には能動的に参加できているし、動画を配信してくれる講義では、見始めてしまえば資料とその動画に没頭していつの間にか終わっているなんてことがしばしば。ゼミも1年ぶりに復帰という形になったが、大好きな教授との距離感も今まで通り、学生は全員初めて会う顔だが前にもいたような文学オタクがちらほらいてかなり楽しい。

 

問題は、資料配信のみの授業である。授業というのか講義というのか知らないが、教授はやる気はあるのか?と思ってしまう。本来はパワーポイントを元に教授が口頭で説明をつけ足していくなどする講義だったのだと思うが、ある講義はその20ページ程度のパワポのみを送り、コメントペーパーを書けと。おいおいおい…本当にそれで学生が納得すると思っているのかよ。初回のコメントペーパーでその旨を伝えたが、「パワポに付けたリンクに飛んだか」、「他の文書を載せたが読んだか」といったことが返ってきた。そういうことではないんだよな、と思いつつまた今日も講義(?)を受ける。いわゆる楽単(楽に取れる単位)講義とされているのを後から知った。しかし、だからってあんなもんでいいのかよと思ってしまった。もちろん、教授たちも初の試みで試行錯誤しているとは思う。いつもとは違う頭を使って最善策を練ってくれているのだ、と思いたい。しかし、どうなんだ…という授業も間違いなくある。嫌な話だが、大学へのお金も同じだけ払っている。教授にも熱量は必要である。ナーナーでやられては困る。

 

などとグチグチ言いながら部屋にこもり毎日パソコンに向かっている。チャイムもなければ(大学チャイムあったかな)、教室間の移動もなし、先にも書いたが登下校もない。授業もモノによっては好きな時刻にできる。かなりぬるっと始まり、ぬるっと終わっているのだ。スイッチというスイッチもあるわけないし、ずっと学習時間が続いているような、ずっと始まっていないような。部屋には気を散らせる魅力的なものばかり。悶々としながら毎日を過ごしている。と言いつつ大して何も考えずに過ごしている。前のような日常には戻らないとされているが、それならば新しい形の平穏がやってくることを待つしかない。2020年、やりたいことがたくさんあった。しかし生きていることに感謝して、しばらくは液晶の中に頼っていきたい。ブルーライトカットの眼鏡も買ったし(レンズ無料のキャンペーンやってたから)。

https://www.jins.com/jp/jins-screen/

 

14 Apr.☺ lazy diary 12

Hi guys .

 

Im gonna try to write this diary in Eng agayin :) but im not sure to write all of it.

I miss every single moment of London. It has past nearly 2months when I’d say good-bye to London. I cant believe it. I like Japan so I was so excited to come back to Jpn when I was in London. but now, I miss there n friends a lot :(

 Ive got many good friends in London. Some friends are still having contact with me. Im so happy that. All of friends and me have met in London but we have different nationality. It was really interesting coz ive never met someone who is from different country( maybe ive met someone but not so close. I don’t remember. sry). however, ive learnt it that really doesn’t matter we have different nationality. Coz we can do communication n understand each other.

 

My friend Sol, she is from Korea then she studies in Paris. She is art student. I love her so much. We studied in language school just 3months but we’ r kinda best friends. She is so smart, artistic, cool and kind. We understand each other deeply so we can do some conversation about art stuff, philosophy and even politics. Sometimes we have different opinion but we can understand it. Its not easy coz sometimes, we cant understand each other even between Japanese. We don have to follow each opinion but I think we should try to understand. Anyway she is the best crazy girl ive ever met so we re good friends. haha

 

She was planning to come to Japan this summer but u know about corona tho. Im not sure to she can come to Japan, her as well . Im so mad with corona, its breaking everything heavily. But sadly, I cant do anything. Just I can stay at home and stay healthy… Im so sad. wanna meet all of my friends. Miss you guys a lot. I hope u guys everything is ok. pls stay healty and stay home. but thank you for someone who has to work everyday and go out every day. See you soon dayo. love ya.